明治4年4月20日、郵便制度が発足した。東海道の各宿場にある伝馬所の一画に郵便取扱書とポストが配置され、“運送員”は重い行李を担いで宿駅間を走った。四日市では、辻のある南町に“郵便取扱書”が設置されたが、明治8年には“郵便局”という名称に変わっている。その後、明治16年には南町から浜町に変わり、明治21年になると開栄橋西詰南角に移築された。
大正11年の地図。中央開栄橋の上に”郵便局”の字が読める。当時、周辺は四日市の中心だった。
明治21年建設された四日市郵便局、昭和19年まで使われていた。
明治36年撮影の“納屋運河の開栄橋”から、橋を渡った左に、白亜の洋館と呼ばれた郵便局の建物がみえる。
明治36年
北野保 著“続よっかいち歴史浪漫紀行”に、郵便局跡の南東角に現存する“通信省用地”と彫られた境界石の写真が掲載されていた。平成28年頃の境界石。
その後、気になっていたので、写真に記録した。
令和3年
令和5年
沈没して、情けなく変わり果てている。ああ無常!引っこ抜いて家へ持って帰りたいワ。