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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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ぶらり四日市 その四 家康と四日市②

播磨良紀教授は“歴史講演 四日市と徳川家康”で語る。 徳川実記(たかそう…)...

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ぶらり四日市 その五 家康と四日市③

中世期、伊勢湾を航行する船に、その土地の守護は税金を取っていました。これを“本警固”と云います。対して伊勢神宮への貢物を運ぶ船には“新警固”と云われる税が課せられていました。これは伊勢の外宮が守護に対して、神宮の船に課税するのは免除してくれという記録が残されていたからです。下の図は文明年間(1469~1489)に伊勢湾にあった“警固”の所在地です。...

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ぶらり四日市 その六 阿瀬知川と思案橋

思案橋(潮呼橋)は、阿瀬知川に架かっていた?現在の地形から見ると、違うように見える。下は昭和53年(1978)の阿瀬知川。 確かに、近鉄駅西から浜田を通りJRの線路をくぐって末広橋から伊勢湾に出ている。下は明治40年(1907)の地図。...

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ぶらり四日市 その七 辻 ①

正月2日、お天気も良く 風もない暖かな日だったので、札ノ辻から湊へ自転車で出かけた。 旧東海道を北へ上って進むと、昔 四日市宿の中心だった“札ノ辻”にたどり着く。往時の賑わいは その面影もない。 辻から南方角を見る 辻の北西位置に建つ福尾医院跡の“東海道四日市宿資料館”。 土日の開館だったか?今日はお休み 東へ路地を入ると本陣跡の中部西小学校が建つ 校門入り口に 本陣跡である説明板が立っている...

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緊急報告 思案橋と潮呼橋

通りがかりさんと下総人さんから訂正をいただきました。思案橋と潮呼橋は、隣どうしに架かっていた異なる橋でした。ここに改めてお詫び申し上げます。どこでちごたんかなぁ? 明治40年の地図  図の下にある 開栄橋 は 相生橋 の間違いです 私でなくとも間違いはあるのですねェ

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ぶらり四日市 その八 潮呼橋

“通りがかりさんからコメントをいただき、潮呼橋 跡へ出かけてみた。 Sさんからお預かりした、四日市商業会議所発行の明治28年2月7日発行の鳥観図。丸印が潮呼橋の位置 朝まで降り続いていた雨が上がり、午後になると薄日が差すようになった。思案橋跡モニュメントから、路地を北へ200メートルほど進むと、納屋ポンプ場南隣に細長い小さな公園があった。 この先思案橋...

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ぶらり四日市 その九 消えゆく思案橋

『ふるさと絵図』平成9年に四日市市立博物館が発行した絵地図であります。ここに湊浚渫工事の図がありました。 札ノ辻から東へ伊勢湾に向かうと、十里の渡しへ出ました。ところが蛇行して流れ出る阿瀬知川から運ばれてくる土砂が堆積して、港へ船が入れなくなってきました。そこで、浚渫工事(土砂さらえ)の必要が出てきたのです。 思案橋はまだ上部にあります...

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ぶらり四日市 その十 昌永(訂正:栄)新田

文間(訂正:分間)延絵図より 辻から東へ 思案橋を渡って十里の渡しまでの道のり 水谷百碩氏の描いた“四日市浜の景”明治初年とあります。 十里の渡し付近が描かれており、稲葉三右衛門翁の四日市港 築港工事以前ののどかな風景です。 旧四日市港の南の端から西方向を振り返って見る。運河は南へ曲がり、末広橋梁から臨港橋をくぐって伸びる。千歳運河でアリマス。...

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ぶらり四日市 その十一 野寿田新田のこと

難工事が続く四日市庭湊 安政元年(1854)6月15日午前1時ころ、大地震が襲った。安政の大地震である。九十郎(後の稲葉三右衛門)18才の折、四日市では、地震による火災が朝から夕刻まで続き、焼失62戸、潰れ家371戸、半壊347戸、半壊大破780戸、小破365戸、焼死人68人、怪我死人87人、怪我人...

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ぶらり四日市 その十二 野洲田新田開墾落成之圖

下の図は、下総人さんに教えていただいた「野寿田新田 開墾落成の図」(県史編纂グループ様)は、明治13年以前と推測できる。この絵図を見ると、野寿田新田(昌栄新田)は堤防に囲まれていて海と仕分けがされている。南東部に位置する池は“鰡(ぼら)池”と名がついていて“伊勢鯉”とも呼ばれて祝いの時に珍重された。 次の図は“野寿田新田...

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ぶらり四日市 その十三 旧四日市湊

明治5年、稲葉三右衛門は、同志である田中武右衛門と共に、三重県参事宛てに工事許可の願いを出し、翌6年、県の内諾が出ると自己所有地への土砂の運搬から工事を始めた。しかし、工事規模の膨大さの為、田中武右衛門は脱落、三右衛門一人の難工事となる。 明治7年頃?修築工事風景...

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ぶらり四日市 その十四 県との確執

稲葉翁に関するブログ(2021年10月1日~10日)については、図書館でお借りした“郷土秘話 港のできるまで 稲葉三右衛門築港史”大鳥重敬 著を資料とさせていただきました。 2021年10月1日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) お借りした時点でかなりいたんだ本でした この書籍は、赤堀城西町の三重公論社...

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ぶらり四日市 その十五 昌栄新田の今

明治40年発行の“四日市史”伊藤善太郎著のうち“四日市名所案内”に、昌栄新田が四日市観光名所として挙げられていたのでご紹介します。 水谷百碩 画“昌栄新田潮干狩” 昌栄新田・・・もと、新田のありし所なれば、今は、遠浅の海辺なれども。なお、旧名を襲用して、昌栄新田とはいうなり。朝日の洲、遠く海中に突き出して一大湾をなし、内に、汽船、帆船の林立するあり。又遥かに眞帆...

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ぶらり四日市 その十六 運河の細雨

出口對石 画“運河の細雨”四日市市立博物館 刊「知らぜらる四日市の面影」より 雨が降りしきる納屋運河(開栄橋と相生橋に挟まれた)を描いています。画面左から稲葉町、蓬莱橋、高砂町が描かれています。画面右手の橋は諏訪神社へ続く相生橋。運河にはたくさんの木造船が繋留され、あわただしく船を動かす船頭の様子が描かれています。...

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大雪の四日市

1月25日 10年に一度の寒波到来で、四日市は朝から吹雪に見舞われました。 緑がきれいな鵜の森神社も今日は雪の中です。雪合戦をする一行だけが元気です。 駅前も吹雪の中でした。 明けて26日は、陽のさす穏やかな朝におなりました。しかしまだ雪は残りそうです。

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ぶらり四日市 その十七 郵便局の境界石

明治4年4月20日、郵便制度が発足した。東海道の各宿場にある伝馬所の一画に郵便取扱書とポストが配置され、“運送員”は重い行李を担いで宿駅間を走った。四日市では、辻のある南町に“郵便取扱書”が設置されたが、明治8年には“郵便局”という名称に変わっている。その後、明治16年には南町から浜町に変わり、明治21年になると開栄橋西詰南角に移築された。...

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お諏訪さん市 開催

“がんばる商店街 お諏訪さん市”が駅前商店街一帯で開催された。 今回のイベントは経済産業省の”がんばる商店街”を受けて行われたもので、わがスワマエ商店街は、2年前の“GOTO商店街”にてYouTubeでの動画配信を行ったので、今回は遠慮させていただいた。 好評だったスタンプラリー。予想をはるかに超える大盛況だった。...

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ぶらり四日市 その十七 伝七邸

国登録有形文化財(建造物) 伝七邸(旧伊藤伝七別邸)登録2010年9月10日 お正月でしたので、かたく門は閉ざされておりました。休邸日?南の金砂神社とセットでまた訪れます。...

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ぶらり四日市 番外 刃傷事件 ①

四日市宿での刃傷事件・発端編 天保5年10月10日、四日市宿で刃傷事件が起きた。桑名宿の飯盛り女をめぐって4人が負傷した事件である。この事件の顛末を上野秀治氏が“四日市市史 第1巻”に書いてみえるので紹介させていただきます。 東海道分間延絵図より“四日市宿”...

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ぶらり四日市 刃傷事件 ②

四日市宿での刃傷事件・展開編 仙助と無宿人丈助は話し合いの為、花香をかくまう名古屋の尾張藩 大塩安五郎のところに出向く。大塩側は利兵衛と兵八が立った。交渉の末、花香の残りの年季奉公分が、仙助に支払われたが、仙助は、花香には保証人が居るので最後に挨拶だけ済ませておきたいとだまし、一旦桑名に連れて帰ることとなった。 宮の渡し 利兵衛と兵八ら一行は花香をつれて宮から船で出る。さて、船の中で無宿人...

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