四日市宿での刃傷事件 直前編
大塩は、今までかかった旅費等の穴埋めに花香を上方へ売り飛ばすこととした(ひどいことをする!)。上方出身(で詳しい)の下女ゑいと、下男安兵衛には大小の刀をつけさせて三人で上方へ向かう(この刀が曲者ナノです)。天保5年10月初旬のことである。このことを聞いた仙助は、仲間5人と共に桑名を出立し日永村で三人に追いついた。仙助は花香を引き戻そうとする。安兵衛は鞘のついたままの刀で殴打する、ゑいも持っていた杖で仙助らを打擲(ちょうちゃく=打ちたたくこと)した。安兵衛が仙助らに曰く『養女にした娘花香に理不尽を働くとは不届き、このことを大塩へ言いつけるぞ』と、三人はそう罵って名古屋へ引き返した。
この時の仙助が雇った仲間5人はどんな連中だったのか?おそらく今の金にして一人3万から5万円ぐらいは掴ませたのでしょうナ。桑名宿江戸町 旅籠屋 栄介(48才)・同町旅籠屋 伊三郎(45才)・同町旅籠屋けい雇人 弥助(40才)・日雇稼ぎ百姓 佐助(37才)・出稼ぎに来ていた四日市宿百姓 藤蔵(46才)の5名であった。この騒動の後、仙助はあきらめきれずに四日市に残ったが、5名は桑名宿へ戻り、ことの顛末を宿場のみんなに言いふらしている。
さて、ここで口入れ屋の無宿甚平の登場でアリマス(彼は仙助の処へ花香の世話をした男)。彼は花香らが泊まっていた旅籠へ行って花香は逃亡癖があるから見張りをつけてくれと頼み込んだ。旅籠がどういう処置をとったかは分かりませんが、このことを知った大塩安五郎は、自ら四日市へ駆けつけることとなりました(怒髪天を衝く)。つづく
GGシニアさんが私のまち歩きをYouTubeでアップしていただきました。今までブログでご紹介させていただいたあっちやこっちを 動画で配信できることとなりました。どうかお楽しみに・・・
(19) 「たけちゃんの四日市街歩き/第1回、旧東海道商店街から有名作家生誕の地へ」 - YouTube
<緊急付録>
コンベア寿司さんの話題が、コメント欄で賑わっておりますので、昭和43年当時のマップを掲載いたします。
コンベア寿司の文字が・・・
同じ場所が昭和53年にはすわ寿司ビルになっております