9日夜、ついに大塩安五郎自らが、仙助らの泊まる七右衛門旅籠へ乗り込んできた。そして、栄助と伊三郎に向かって張本人の仙助と口入屋の無宿人甚平をここへ出せ!と二人へ迫ったが、生憎、仙助はいなかった。『隠すと為にならんぞ!』と激高した安五郎は、栄助らを打擲(ちょうちゃく)。二人は逃げ出してしまった。安五郎についてきた下男安兵衛も、安五郎から預かった刀を振り回し、宿へ帰ったばかりの宗吉を追いかけたので宗吉も逃げ出してしまった。ことの惨劇にたまらず七右衛門は、両方引き払うように四日市宿の役人に願い込んだ。
これで七右衛門旅籠に残ったのは、庄助と、ことの次第に同情した惚源新田の安兵衛と尾州春日井郡の浅之助となり、翌10日の早朝、三人は武装して大塩の泊まる徳右衛門旅籠へと乗り込んだ。事件発生でアリマス。
この三人のほかに、吉五郎、四日市宿旅籠の又兵衛に重助、平八も加わった。まず、又兵衛と重助が交渉の為、二階の大塩の居間へ入る。間もなく下男 安兵衛が出てきて吉五郎と口論になり、安兵衛は二階へ戻って刀を持ち出してきた。迎える吉五郎、旅籠主の七右衛門、惚源新田の安兵衛、浅之助の四人も刀を抜いた。ビビった安兵衛が二階へ戻ろうとするところを四人は追いかけ、吉五郎が下男 安兵衛を切りつけた。この時、安兵衛は七右衛門の持っていた鳶口を取り上げ、七右衛門に致命傷を負わせる。この修羅場を見た庄助は火鉢の灰をぶちまけて逃げ出した。この時、大塩と浅之助が切り合いをはじめ、切られた浅之助は脇差で大塩に切りつけた。交渉役のつもりだった又兵衛も恐怖で手元にあった棒を振り回したところ大塩の頭に当たり傷を負わせた。この間、深手の七右衛門と惚源新田の安兵衛は、刀を持ったまま呆然と立ち尽くしており、大塩の下女ゑいと下男の友吉は恐怖のあまり物陰で震えていた。
こうして惨劇が終わり、吉五郎は花香を連れ出し、逃げる庄助を捕まえて花香を預けた。庄助は花香を駕篭で桑名宿へ送ったのだった。天保5年10月10日早朝での事件だった。