四日市宿での刃傷事件 お裁き編 その二
天保6年7月7日、道中奉行 曽我豊後守から仙助・花香・けい・甚平の四人に7月27日までに江戸へ来るよう命令が下った。仙助は飯盛り女花香を取り戻そうと画策した事件の張本人。けいは、桑名宿で旅籠屋をしていて、無宿人と知らずに浅之助(脇差で大塩を負傷させている)を雇っていた。無宿甚平は、花香を仙助宿に売り込んだ男である。しかし、けいと花香は病気のため代人を立てている。腐心と旅の疲れで病気になったのか?こうして8月9日、ようやく、江戸にて判決が下されている。
歌川広重 東海道五十三次 日本橋
“次に判決内容を示す”と、上野秀治氏は、四日市市史 第1巻で記してみえます。
ゑい(大塩安五郎の下女、花香を大阪へ売り飛ばすため安兵衛とともに同行)→江戸払い=居住地域から追い出される
浅之助(大塩と切り合いお互いが傷を負った)・惚源新田の安部衛→敲き(たたき)の上、人足場へ労働に出された
仙助(事件の発生源)・又兵衛(仙助に頼まれ、大塩との折衝にあたった)→手鎖(鎖をつけて自宅監禁)
花香(仙助のところにいた飯盛り女)→急度呵=𠮟りの重いもの ただし仙助へ引き渡す
利兵衛・平八(大塩に頼まれ、花香もらい受けの交渉に立つ)→急度呵
けい(浅之助を無宿と知らずに雇った)→過料銭3貫文
与八郎・紀作(桑名宿の問屋で、けいの処に無宿者が居たことを放置していた)→過料銭3貫文
甚平(花香を仙助の元へ口入をした人物。津島の生まれで、娘の桑名宿旅籠ぶんの元に厄介になっていた。機会を逃し、事件当時は無宿だった。事件当日は怖くなり逃走)→お構いなし(桑名宿の宿役人 太田源十郎の願いで引き渡しとなり、源十郎は甚平を人別長に加える手続きをすすめる)
大塩安五郎(尾張藩の武士)→病死の為、遠島のところ申し渡し
下男安兵衛(大塩から刀を預かったため剣劇に参加)→病死の為、江戸払いのところ申し渡し
それ以外の物は、桑名藩から「以後、こうしたことがないように」との申し渡しで済んでいる。
箱根
刀を振り回したものにはお咎めがきつい。刀傷がもとで死んでしまったが、武士である大塩安五郎には遠島が言い渡されている。浅之助も死んでいるのは、当時の治療方法に限界があったのだろう。無宿者に対してもきびしい。甚平が無宿者と分かっていながら黙っていた、桑名宿の与八郎と紀作は、あまり関係がなさそうであるが罰金刑を受けている。甚平には、温情が与えられたようだ。お咎めなしである。人別帳に登録しなければと思っていた矢先の事件、しかし、四日市宿の者には“花香”に逃亡癖があると言いふらしたはずでしたが・・・。大塩安五郎は、それに対して癇癪を起こしていました。さて、もう一仕事残っております。お金の動きです。つづく