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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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ぶらり四日市 その五十一 ダイヤモンドクロッシング③

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明治44年4月12日、三重軌道は政府に“工事認可の延期願い”を出す。“津市の神田工務店へ依頼して再調査しているが、提出期限の6月30日に間に合わないので延期してほしい”と。一生懸命調整をいたしておりますと・・・

タイムリミットは近づいています。というのも、次の地図は明治44年発行です。赤い線路は敷設予定線ですから、既に“ダイヤモンドクロッシング”は回避されて、現在の1番街から四日市驛へ向けての線が計画されています。注意したいのは、二社の線路が共同線になっていることです。この段階でダイヤモンドクロッシングは避けられています。

たいじゅさんからお預かりした書類です。認可を受けた後の明治45年(大正元年)7月1日付で三重軌道が県知事宛てに出した“停留所設計変更及び増設認可申請書”によると。

終点の日野と室山に貨物専用の停留所を設けて欲しい旨の申請がなされています。それも、人の利便性を優先するも“やむを得ず”という雰囲気にとれます。貨物よりも人の運搬が大切、という鉄道省の顔色をうかがいながら、したたかに敷設を計画していた三重軌道さんではなかったのか?と勘繰ってしまいます。

最後にたいじゅさんに指摘いただいたことで、明治44年の地図をみると、新田町から斜めに諏訪新道へ出る細い道があります。戦前から“嶋口屋の瀬古(世古?)”といって当家の前から市役所や高等女学校へ出る、戦後は諏訪駅から諏訪新道へ出る近道でした。この道が、三重軌道の計画路線の名残りではないか?ということでした。昭和15年の地図の方が、斜めに通る細い道が分かります。ロマンです。

その後、たいじゅさんからご指摘や資料を頂戴しましたが、ダイヤモンドクロッシングを巡って鉄道省との間に様々な交渉があったようです。当初に計画されていたクロスする諏訪驛付近(=保光苑停車場と名付けられていた)の位置が、戦後の諏訪駅に当てはまるのでは?ということも知りました。

たいじゅさんありがとうございました。


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