富田は古い町(アイの宿)。富田一色は漁村で、北の須賀浦海水浴場が広がる。“すかうら”と濁らないそうだ。なるほど地名の“天カ須賀”(あまがすか)は濁らない。中央に富洲原小学校があって、水泳着で須賀浦海水浴場まで走ったとお客さんから聞いた。
大正か昭和初期の絵葉書“富田海水浴場”着物姿の女性が歩く 準備?片付け?
町の真ん中に“東洋紡績(現 イオンの北ジャスコ)と平田紡績が鎮座していて、漁業と紡績で繁栄してきたことが分かる。
富洲原小学校と須賀浦海水浴場との間に、住吉町がある。昔の色街だ。富田の水谷さんに見せていただいた、昭和初期の町の案内冊子。その巻末に店舗の広告が掲載されていた。住吉町の町名が目につく。それだけ賑わっていたということだ。
賑わいぶりを伺い知ることが出来る