掖済会前の海水浴場
稲葉町の旧四日市港防波堤と三瀧川口の間にあった白砂の海岸は、四日市市民にとって最初の海水浴場。ここに明治41年3月、海員掖済会の大きな建物が建ったため、掖済会前の海水浴場と呼ばれて盛況であったが、川口の潮流のためか、海底が淀みはじめたので、大正12年北方の午起海岸が整備され脚光が移った。戦時中、この海岸は埋め立てられ大協石油のタンクヤードができた。今は、昔の語り草さえ残っていない。
椙山満著 文化展望より
大正13年10月12日 掖済会前の海で飛行ショーがあった。その時の空撮。高砂町の伊藤礼之氏所蔵の貴重な写真を納屋プラザで見せていただいた。(港地区連合自治会様所有)
航空ショーの真っ最中 角の石灰工場からか?汚泥が流れ出しているのがはっきりとわかる
2022年2月6日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
2022年2月6日のブログでも紹介いたしました掖済会は、大正期のペスト騒動でも大活躍をしています。
明治10年のマップ
泣く子も黙る?掖済会?
遠景
本町まちかど博物館の水谷宜夫さんには、多くの資料を見せていただきました。感謝!