北條町魚づくし
文化展望四日市第8号(平成3年) 椙山満 著 四日市今昔より 昭和6年西福寺境内に並んだ魚づくしの練り物たち 戦前の四日市祭禮(まつり)に、人魚を始め大小の魚たちが、とりどりの色を添えて楽しませてくれた北条町の魚づくしという練り物は、この町に魚の棚と呼ばれる魚の問屋街があったことに由来していた。 西福寺 平成3年...
View Article島安次郎と巖谷小波
前に、関西鉄道の島安次郎と巌谷小波に接点があったことを、下総人様から教えていただいた ことをすっかり忘れていた。スンマセ―ン! 明治3年 和歌山県の薬問屋「島喜」に生まれた島安次郎は、明治27年四日市の関西鉄道に国有化される明治40年まで技術者として働いていた。一方、巖谷小波(いわたにさざなみ)は、明治期に活躍した児童文学者である。富田浜の海水浴場跡に巖谷小波の句碑が残る。 涼しさや 松こしに見る...
View Article三滝川が決壊した!
昭和13年8月1日から2日にかけての集中豪雨で、堀木町北方の三滝川右岸堤防約100メートルが決壊し付近のヤマコ醤油工場が大破し、濁流は鵜の森公園、諏訪公園、新田町、江田町、沖の島町、更に関西線を越えて納屋地区に押し寄せ、市街地は水中に孤立した。諏訪新道や諏訪神社前は船が往来して炊き出しや救援物資を配ったりした。 1日から2日にかけての懸命な土嚢積み上げ作業で濁流が堰き止められた直後の写真。...
View Article潮呼橋
とんでもない間違いをいたしておりました。“潮呼橋”は“しおよびはし”と読むそうで、読めないことにかこつけて“いたこばし(潮来橋)”と間違えておりました。ここに謹んで訂正させていただきます。 大正10年6月、徳川家康夜の渡海で一躍有名になった思案橋から急に川幅が広くなるのが浜町運河。そこに北納屋から浜町へ渡る潮呼橋があった。 昭和10年ころ、右端の運河に架かる潮呼橋...
View Articleキャロル・リード監督の傑作!
B-1グランプリを終えてひと息ついたところで、東海道四日市宿資料館へ出かけました。館長の長谷川さんと吉本さんに親切な案内をいただきました。感謝! 「四日市にある日曜日にしか見れない資料館/東海道四日市宿資料館」 (youtube.com)...
View Article今も昔も 相生橋
東海道博物館探訪記でゴザイマス 文字をクリックしてご覧くださいマセ (2) 「四日市にある日曜日にしか見れない資料館/東海道四日市宿資料館」 - YouTube...
View Article顕彰 稲葉三右衛門翁
昌栄橋北詰めに立つ稲葉翁象 初代の四日市港開築の義人 稲葉三右衛門翁(天保8年9月~大正3年6月)の壮挙を永遠に明記するため四日市市は昭和2年、市制30周年の記念事業として翁の銅像を昌栄橋北畔に建設し、同3年8月除幕式を挙げた。 工事の様子...
View Article千歳橋と国産振興博覧会
ハーイ!東海道四日市宿資料館の2回目でーす。館長の長谷川さんにはお世話になりました。ありがとうございました。下の文字をクリックしてみてください。ハイハイと納得ばかりしているタケちゃんでーす 「四日市にある日曜日にしか見れない資料館/東海道四日市宿資料館#02」 (youtube.com)...
View Article新図書館市民の意見を提言
12月19日付中日新聞にこんな記事がありましたので、紹介いたします エリア・プラットホーム事業でも、駅前エリアさんが新図書館に関して討議を重ねてみえます。いろんなところからいろんな提言をするよりも、連絡し合って一本化して申し出た方が効果があるかな?と思います。市も多くの意見を振り落とす作業があるわけですからね。 それよりなにより 注目したのが、下段の4行目です。「駐車場不足を指摘する意見もあった」
View Article江戸時代中期の四日市湊
11月18日開催されたB-1グランプリの、1番街ステージで中央通り誕生秘話?をお話させていただきました。久しぶりにとんまトリオが揃っております。是非ご覧ください 「四日市町歩きたけちゃん、ステージに登場!/中央通りは生きている。」 (youtube.com) 三瀧川に、田のあぜを流れてきたあせち川が合流。不動寺前の入り江が湊になった。これが江戸前期。ラ・ソージュ(四日市文化展望)14号より...
View Articleうみてらす14からの眺め
22日金曜日 四日市港ポートビル うみテラスからの工場夜景を眺めに行きました。(四日市観光協会・コンビ―ナート 夜景クルーズ)19時50分 バスで一気にポートタワーへ。寒い夜でしたが 空気が澄んで 知多半島もくっきりと見えました。 南 四日市の街方向(室内の照明が写り込んでしまいました) そこからやや港(左)方向 工場夜景が素晴らしい 目線にたなびいているのは水蒸気です 3年ほど前の写真です...
View Article図書館移転の記事
やや拡大が次に・・・ 25日付の中日新聞に図書館移転の記事があった。いよいよ基本計画へといった内容で、経過を述べたにとどまっている。 その下は 同じサイズでしたので省略いたします
View Article阿瀬知川の改修大工事
三瀧川から離れ、うねるように伊勢湾に流れ出ていた阿瀬知川は、多くの土砂を川口に押し出していました。江戸末期になると南に伊勢湾に流れる川筋がつくられたので流れは細くなり納屋運河として港の役割を果たしてきました。ここで大改修が二度にわたって行われます。 改修前 こうして新しく作られた水路の先に、稲葉三右衛門さんの挑戦した四日市湊になるのです。浚渫工事は大変だったと想像できます。 改修後...
View Article稲葉翁の決断
GGシニアさんで 稲葉三右衛門を取り上げていただき アップいたしました なかなかむつかしい取り組みでしたが、うまくまとめていただきました 一度 ご覧ください 四日市築港と荒神山の出入りの意外な関係」 (youtube.com)...
View Article築港工事着工
稲葉三右衛門は、何人とも手をつけることのなかった難工事を、個人で設計から見積り、湊を生業としている人々への説得等を行い、明治4年1月13日、田中武右衛門(後に離脱)と共に県庁を訪れ、岩村定高参事に面会事業の説明をしているが、素人がやる事業ではないと、冷たい返事が返ってきた。 参事...
View Article稲葉湊の完成
明治17年5月5日、高砂町荷上場前の広場で落成式が挙行され、当時の四日市の知名人を含む数百名が集まった。明治3年10月悲願を起こしてより、17年5月までの15年間、しかもその間、真に工事に没頭できたのは5年余に過ぎなかった。総工費20万円、昭和30年当時のお金に換算しても5億3千500万円が投入されたのである。帰宅後、家族関係者を前に、三右衛門はしみじみと語った、 四日市湊開墾図...
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