YouTubeで案内していただいている前田憲司氏の諏訪神社。拝殿前の天水鉢が、横濱製茶問屋からの寄進とあった。
昭和40年発行の”四日市史”を見ると、海外向け輸出欄の処に、綿糸に続く643,072斤とあった。
おそらく三重軌道で四日市驛まで運ばれ、海外に輸出されていたのだろう。大陸向けが大きかったと想像する。
本日、諏訪神社へ赴くと、生川宮司さんから下の図面を手渡された。宮司のお父さんが、旧四日市を語る会(岡野繁松先生)から依頼されて描かれたものらしい。只、手渡されずに終わったようである。
その後、岡野先生が旧四日市を語る会での話をもとに描かれたのが 下の図です。
ほぼ同一である。この2枚の図から、明治天皇の記念碑の位置が、生川邸の横にあったことが分かった。
2022年8月13日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
この記念碑は、戦後に川の東側へ移転されたことになる。(このお話はYouTubeでもご紹介してあるのですが、探すのが面倒でしたので、お知らせのみとさせていただきます・・・る)陳謝!