掖済会横の石灰工場 足洗池
さて、リヤカーの旅は続きます。Kさんの記録には『あがたの小学校までは北野に人家があるのみで、一面の水田である。小学校の南の道に入った。この道は人家に沿うて建ち並び狭い通りであった』とあります。現在のあがた小学校は、敷地も広く鉄筋建ての立派な校舎ですが、昭和9年当時は、木造で運動場も狭かったと書かれていました。...
View Article掖済会横の石灰工場 掖済会へ
こうして坂部の大きな坂を一気に下り、下りたところにある江田神社で一服しています。川幅が広くなった海藏川に沿って、あひるを眺めたりしてすすみます。東坂部の製糸工場横を通っていくと北の方の丘に無線局の鉄塔がみえました。海藏受信所です。 2024年2月5日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) そこから 道が少し南へ曲がり...
View Article依佐美送信所と海蔵受信所
Kさんの記録から、千種城跡から稲葉町までの道のりをGGシニアさんにアップしていただきました。拙い説明ですが ご覧いただけば幸いです 「前畑がんばれ!実況放送と四日市の関わり/昭和9年菰野から四日市へ」 (youtube.com) さて、先日仕事仲間と話しておりました。歩く会で知多の方へ出向いた折、依佐美送信所記念館に立ち寄って、四日市の受信所の文字を発見したそうです。 依佐美送信所 -...
View Article依佐美送信所と海藏受信所 ②
依佐美送信所(よさみそうしんじょ)記念館に 四日市の海藏受信所が掲載されておりました。 「前畑がんばれ!」どころか 刈谷では「ニイタカヤマノボレ」を長波で送信していたとは 歴史の重みを感じます 依佐美送信所とペアの四日市受信所 (katch.ne.jp) さて四日市受信所が何処か?すでに探しておられたようですが、勝手にググってみました。 ① が受信所の位置...
View Article紡績工場での仕事
紡績工場から仏壇の引き取りを頼まれた。20年以上前の話しです。仏壇の幅は90cm以上あるということで、3人がトラックに乗り出かけた。工場はすでに操業は終えていて、建物は順次取り壊されていた。守衛さんも居らず、事務所に声をかけると、講堂に仏壇はあるということで、教えられた通り草の生い茂る空地を進んだ。 参考写真です...
View Article三重軌道の敷設は何処か?
うえの様から、明治44年の記事を送っていただいた。 明治44年4月8日付 伊勢新聞より 四日市の新道開設 三重県軌道工事関係 四日市市にては去る4日 市会に引き続き議員協議会を開き 室山に通じる三重軌道株式会社の線路に関係ある新道 及びこれを幹線とする数條の支道を開設するにつき 里道開設委員として家田、毛利、久志本、山中、熊澤、大平、稲葉の七氏を挙げ...
View Article諏訪神社探訪 ①
22日は、郷土史家の前田憲司さんに無理を言って 境内を案内してもらった。この記録はGGシニアさんに後日YouTubeでアップしていただけるが、私が幼少のころから親しんできた諏訪神社のことを 何も知らず、発見満載で楽しかった。さて、ここで問題 次の2点の写真は...
View Article諏訪神社探訪 ②
諏訪神社入り口の鳥居は、銅板で囲われているにせよ変わっていない。鳥居の右側に注目してほしい。 大正時代 山本正次氏蔵 軒に“水”の文字がみえる、縁台のようなものが出ているから やっぱり茶店だろう。現在と比べるとかなり軒が低いように見えるが、すこし下げられて建っているようだ。...
View Article昭和38年のトイレットペーパーの話し
『昭和こども新聞』日本文芸社 昭和36年版より トイレットペーパーなるものを知っているだろうか?日本語に訳せば「便所用紙」である。といってもトイレットペーパーは「ちり紙」でも「京花紙(おとし紙)」でも「尻拭き用に切断した新聞紙」でもない。...
View Article二段ベッドの世界
今回のYouTube GGシニアの探訪記は、前田憲司様の力をお借りして地元 諏訪神社に挑戦!日頃見慣れた風景の中に新しい発見が続々!まさしく歴史の重みを感じる神域でございました。3回に分けて配信予定だそうでございます。建御名方命さん八重事代主命さん(えびす神) バンザーイ!・・? 諏訪神社探訪第1話 (youtube.com) 昭和こども新聞より 二段ベッドが大人!...
View Article岡野繁松先生の諏訪神社
YouTubeで案内していただいている前田憲司氏の諏訪神社。拝殿前の天水鉢が、横濱製茶問屋からの寄進とあった。 昭和40年発行の”四日市史”を見ると、海外向け輸出欄の処に、綿糸に続く643,072斤とあった。 おそらく三重軌道で四日市驛まで運ばれ、海外に輸出されていたのだろう。大陸向けが大きかったと想像する。...
View Article昭和2年の特等地は?
たいじゅさんが面白い書類を持参いただきました。『昭和2年 市會関係書類 四日市市役所』と名のついた議事録です。 そこには、市内の家屋地等級付けが記録してありました。昭和2年当時、どこの地価が高かったか?という興味深い内容です。...
View Article昭和2年の壹頭地は?
諏訪神社の第2弾をGGシニアさんにアップしていただきました 「タケちゃんと前田先生の四日市諏訪神社探訪/第2話」 (youtube.com) たいじゅさんからお借りした「昭和2年 市會関係書類」続きでアリマス。 特等地に1当地を加えてみました。赤が特等地で青が1等地です <壹頭> 南町・四日市銀行西支店北通り(札ノ辻)を西へ 西町 片倉醤油店まで 同町・南川洋服店より南へ江田...
View Article花のスワマエ商店街
昭和2年は、まだ東海道と浜往還沿いの商店街が元気で、東西の四日市驛周辺が賑わい始めた頃でした。 提供:たいじゅ様 注目したいのは、東海道沿いを諏訪驛へと伸びる道路沿いに商店が並び始め、1等地となっていることです。この頃はまだ諏訪新道から四ツ谷町を経て四日市驛前へと伸びる道路は、ようやくにぎわい始めた頃でした。...
View Article踏切番は何処へ行く?
いよいよ諏訪神社にございます政成稲荷の神域に潜入いたします。初公開!ご覧ください! 「タケちゃんと前田先生の四日市諏訪神社探訪/第3話/政成稲荷に潜入」 (youtube.com) たいじゅさんからお借りした議事録をご披露させていただきます。昭和2年に“踏切番を置いてほしい”と、三重鉄道?が市議会に申し出たものと思われる書類がありました。ところで、これは何処の踏切でございましょう?...
View Article山の神は子供のまつり?
各町に祀られていた“山の神”が諏訪神社の山津見神社へ合祀されたことを、YouTubeで前田憲司さんから聞いた。 「タケちゃんと前田先生の四日市諏訪神社探訪/第2話」 (youtube.com) 岡野繁松先生の“旧四日市を語る 第六集”で伊藤禮太郎さんが「山の神」の思い出 として書いてみえたので紹介する。 桜 観音堂の山の神...
View Articleおふくさん
“旧四日市を語る”第6集に掲載されていた。山口守さんが子供の頃、とあるお年寄りから聞いた話、とあった。『おふくさん』。 比丘尼町あたりになるか?南町は江戸時代に宿場で賑わっていたところで 旅籠や料亭が軒を連ねていた。 南町の往還から一筋西へ入ったところに三軒長屋がありました。...
View Article中瀬古の庚申塚
昨年、7月頃 日永のお客様の処へ伺った折に、こんな石塔が立っているのを見かけた。 『庚申塚(こうしんづか)』の後ろが会所のようになっていて、昔は村の人たちが集まり、夜を徹して飲み食いするという事だった。...
View ArticleおふくさんⅡ
前々回掲載の“おふくさん”。山口守さんが“旧四日市を語る”の第6集に投稿しておみえの、明治期から大正期の頃の口伝話。賑わう四日市宿から一筋路地に入った 比丘尼町の長屋に住む芸者上がりの女房や、伊勢の古市から戻ったという女お咲さんの登場やらで、当時の雰囲気がよく出ています。 今回は、“おふくさん”の前編になります。第5集に掲載のお話で、逆になってしまいました。陳謝! このお話は 神社裏の庭地が...
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