さて、大入道シリーズもいよいよ佳境 今回は 山車蔵への潜入です!
「四日市で人気の大入道を探る/第3話/大入道の山車蔵に潜入!」 - YouTube
そして、とんま大使は エキサイト四日市バザールで賑わうなか リニューアルオープンの香久屋さんへ突入いたしました
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YouTubeで前田憲司さんと諏訪神社を散策した際に、各町にあった山の神を 山津見神社へ集めたことをお聞きしました。さて、何処に祀ってあったのを集めたのか?調べてみました。
山津見神社
“旧四日市を語る 第八集”より 山の神の事
山の神と云えばほとんどが明治期に諏訪神社の山津見神社に合祀されたのですが、まちによってはそれ以降もなんらかの形で残されていました。中納屋町では 昭和17年頃 山の神の社を一番組で修理した記録があり、久六町では堤の南の空き地に社が残っていたそうです。
毎年 5月から7月まで、毎日、まちの何処かで山の神の祭礼があって。各町が競って『つくり物』をみせたり、生花や盆栽名士等を陳列して自慢したものである。
私が小さいころ、西町のお祭りで 『つくり物』を見たことがあります。各商店のウィンドウに“鯉の滝登り”等がいろいろな道具でこしらえてありました。
四日市史(昭和5年版)によると、明治41年2月1日に町内の43社が諏訪神社の山津見神社に合祀されたとありました。その内容は、無格社山神社33社、稲荷神社4社、津島神社3社、八幡神社1社、神明社1社、秋葉神社1社、の43社になります。西町、字西浦、久六町、比丘尼町、北町、川原町、南町、中新町、上新町、竪町、中町、境町、南新町、四ツ谷新町、下新町、新丁、北條町、浜町、北納屋町、蔵町、中納屋町、桶ノ町、袋町、南納屋町、高砂町、濵田、赤堀など四日市と濵田ほぼ全域から集められたのでした。
天保時代の地図にその位置が描かれていました
沢山のお社が町のあちこちにあったのです
なんで 諏方神社へ 合祀する 必要があったんかなぁ?