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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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わが町 諏訪 その12

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昭和35年公開の“ヨーロッパの夜”。観には行けなかったが、このポスターには感動した。横目で見て往復した。

黒の緞帳(どんちょう)を裸身に巻き込む美女

オラが浜田小学校への通学路は、東海道沿いに南へ進み、新しく出来た駅前の70メーター道路を横断する。左に崇顕寺、右に(当時は右側)浜田郵便局、同じく右にダイヤパンを通過。竹屋(竹がたくさん立っていた)の四つ辻を左に曲がり1号線を横断すると学校があった。学校の手前のドブ川にアメリカザリガニがたくさんいたので、捕まえて国道の真ん中へ次々と放り出したことがある。

参考写真

学校前に駄菓子と貸本の店があって高学年になるとしばしば利用した。ところが、ある日借りた本を紛失してしまった。友達からは賃借料が積み重なって何千円にもなっているとおどかされた。そんな時に限って神棚と仏壇に手を合す。勝手の良いものである。かわりに家にある古い本を何冊か抱えて駄菓子屋の前をうろついた。うろついていた記憶はあるが結末は覚えがない。本屋のおばさんはにっこり笑って、それでおしまい、だったのかも知れない。多分そうだったろう。

参考写真

休み時間になると学校の前の道路に、奇妙な物売りが来ていた。プリズムを通して手を見ると骨が透けて見える・・なる代物を売っていた。つまり、古い卵が判別できるというのだ。青木君は教室から飛び出して行って早速その代物を買い求めてきた。その後の効果の程は不明だったし、物売りも二度と見ることはなかった。

先の割れたスプーンが懐かしい

今日も雨。校舎の屋根から落ちてくる雨がいろんな音に聞こえてくる。教室の窓から運動場をぼんやり見ていると、東の給食室からおかずを作る匂いがしてきた。アメリカさんから輸入した?脱脂粉乳(牛乳の脂肪を抜いて粉末にしたもの)が段ボールで出来たドラム型の大きな容器に入ってくる。それを溶かしたもの。これは冷めると表面に皮のようなものができるのでそれを除いて息を殺して飲んだ。そしてコッペパン。コッペパンはパン屋で買うのと比べてちっとも甘くなかった。二つに割って中をくり抜き、食べた残りを片方の空洞に詰め込む。お袋は朝、給食で残してきたパンを、炊きあがったご飯の中へ放り込み、湯気でおいしく温める、はずだったが、熱々のコッペパンは皮だけだった。キャラメル包みのマーガリンが付いた。そしてメインのおかず。カレー、揚げたちくわ、竜田揚げ(クジラの肉)、マカロニサラダ等が、下がまっすぐなアルミの容器に配られられた。

犯行現場写真

4限目が終わると6年生が白の前掛け姿で、給食室から大きな鍋を吊って各教室へ運ぶ。年を経て高学年になると、コッペパンは食パンになり、脱脂粉乳は瓶に入った牛乳に変わっていった。その時いただいた牛乳の味には感動した。


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