杉浦日向子さんの映画“百日紅”を観に行きました。“百日紅”や“百物語”は大好きな漫画で、何度も読ませていただいています。
さて、映画化されると知ってはじめてイオン東員まで出かけました。意外と早く行けたのにはびっくり。途中には、1号館やマックスバリューがあり、中心商店街へ出かけるには、いくつかの関所を通らなければなりません。東員の飲食スペースは1階と3階に広くとってあります。物販は広さに指定があり出店料が大変だと思われます。従って、“売らん哉”の気持ちが伝わってきます。街は違った切り口で対抗しなければなりません。
映画“百日紅”の感想は、敢えて映画化することもなかったと思いました。これは杉浦さんの世界です。大きな画面に、江戸の風景を大きくとらえたところであまり意味はないと感じました。たとえば、杉浦さんの描いた真っ黒なスペース。この闇は、北斎が見放した盲目の末娘“お猶”を見舞うシーンにも描かれています。一旦尼寺に預けられていたのですが脚気のため後妻“こと”の家に帰され床に就いています。父親の気配を知った“お猶”は両手を上げて北斎の顔の感触を確かめます。ここに広がる暗い闇には、二人の思いが無言のうちに描かれています。映画では及びませんでした。
北斎の仕事場。居候は未来の英泉
江戸時代の人々の世界は、歩いて行ける範囲でした。狭い地域で四季の風情を感じ、人と人との交流がありました。
以前“まち歩きをしかける”で述べましたが、現代は情報化がすすみました。しかし、それはマスメディアによって一方的に押し付けられた世界であり、情報を得たような気がしていても、私たちの思いとは関係なく、勝手に超スピードですすんでいます。
隣近所が世界のすべてであった時代(昭和30年代以前)を知っている団塊の世代以上の人々は、自分の足で歩ける世界、触れる事の出来る世界を見直すようになりました。“まち歩き”の人気の秘密がここにあるのではないでしょうか。
A!また コノハゲガ ナマイキナコトヲ・・・・・・