6月11日、四日市プラトンホテルに於いて、社会福祉法人 青山里会主催で“諏訪栄町にハッピー・スペースをつくる市民の集い”のテーマで講演会がありました。諏訪栄町地区まちづくり協議会が共催で、サンシ前罹災地再建について青山里会の考え方を発表するものでした。
商店街とのコラボで出来る施設は全国的にも珍しく、青山里会のトップ陣の決断の素晴らしさには頭が下がります。それよりなにより、商店街は、この期待に最大の努力で答えていくことが大切です。
この日、講師にみえていた、一般社団法人 シルバーサービス振興会の常務理事 中井孝之氏のお話を伺うことが出来ました。先生の事務所が港区にあることからだったと思いますが、太田道灌とか徳川家康の名前が出て、当時の桜田門や和田蔵門が今のどのあたりになるかという話になりました。時折、じれったくなりますが、とんでもないところで話題が浮遊します。が、これはとても重要であることが後にわかりました。
1982年出版の“江戸の町 巨大都市の誕生”内藤 昌著 穂積 絵の本を、改めて詠み直してみました。
江戸開府によって、江戸と江戸城も、おのずと幕府地にふさわしい天下一の大都市に育て上げねばなりません。これまモデルとしてきた平安京よりも、さらに大きく発展するようにねりなおす必要が起こってきたのです。
そこで新しく考え出されたのが「の」の字型の大拡張計画です。江戸城を核にして、ちょうど「の」の字を書くように右渦巻き状の彫を発展させるのです。
ここで注意しなければならないのは、これまでつくってきた町を廃止するのではない点です。そのまま利用してさらに外にある丘や谷や川などの自然の地形をうまく生かして、「の」の事情に堀を伸ばしていけば、江戸の町は、それこそ無限といえるまでに発展できるわけです。
正保元年の江戸
規模はとても小さいものですが、江戸城がサンシ前罹災地の再建事業で、現在、街の様々の事業を系統づけ、更に、ここから放射状に新しい事業を展開するのです。軸となるコンセプトは“好機高齢者のまち”です。