英国夫人のイザベラ・バードは、明治初期に日本を訪れ、母国へ送った書簡集の“日本奥地紀行”を残しています。当時の日本がどんなだったか?観光ルートではなく、東北から北海道のごく一般の日本人の生活が記録されて、興味深い紀行文となっています。この中に当時の“店”の様子が書かれており、日本観光文化研究所の所長“宮本常一氏がこのように話してみえます。
彼女がいたるところで書いていることは、店の前を開けひろげているということなのです。これは確かに驚きだったと思うのです。これについて私の感じることを話してみますと、日本の“店”というのは“見せる”ことだったのです。それは品物を見せるだけではなく、仕事を、作っているところを見せた。見ると安心して買えたし、声もかけられたわけです。それが家の前を開け放すこととつながって来るのです。こういう店の在り方が、今度の戦争が終わる(太平洋戦争)まではあったのですが、戦争の少し前から日本でもショーウインドウというものが発達しはじめるのです。東京でショーウインドウが飾り物として生かされたのは高島屋だそうです。そういわれてみると、戦後三越にも白木屋にもなかったが、高島屋のはみごとだった。そしてすみっこに花が生けてあった。これがみんなの心を引くようになり、物はウィンドウへ並べられて、人間が奥へはいりこんでしまう。その時日本の伝統工芸品が滅びはじめたのだと思うのです。下駄屋が衰退し、まんじゅう屋が駄目になったりというのは、自分たちで作っているところを見せなくなってしまったからで、見せないことが良いことだと思い始めたのです。
近年、飲食店に限らず工房型店舗が見直されています。お寿司屋さんしかり、作っているところが見えると安心できます。物を売る場合でも同じことが言えるでしょう。
一人一人が顔を合わせるということから、店とお客との間にコミュニケーションが取れる。これから先もう一度、もとのような店が復活し始めるのではないか。少なくとも小さな店の場合、こうした日本人の中にある人間関係を抜きにしては成り立たないのではないかと考えるのです。