函館へ渡ったイザベラ・バードは、領事館でフォン・シーボルトの息子一行と出会っています。
現地調達、身一つの軽装で北海道奥地へ出かけるイザベラ・バードに対して、シーボルト一行は、大量の物資とともに隊列を組んで出かけます。その後、こう書き残しています。
彼らはその探検に完全に失敗し、クライトネル中尉に逃げ出されてしまった。私はシーボルト氏に、これからもてなしを受けるアイヌ人に対して親切に優しくすることがいかに大切かを伊藤(横浜で雇った案内人)に日本語で話してほしい、と頼んだ。伊藤はそれを聞いて、たいそう憤慨していった。「アイヌ人を丁寧に扱うなんて!彼らはただの犬です。人間ではありません」。それから彼は、アイヌ人について村でかき集めた悪い噂を残らず私に話すのであった。
日本人にはすごい差別意識があったのです。しかし彼女は、アイヌ人の方が、蚤や虱が少ないとか悪臭がしない、裸では居ないなど冷静に判断しています。
講演者である西本常一氏は、イザベラ・バードの紀行文についてこう結んでいます。
これを通してみている限りでは、アイヌの世界は習俗の上では割合に我々に共通するものがあるのですが、気風の上では違ったものがある。イザベラ・バードが行っても皆が物見高く集まるということはなく、無関心である。ところが一方、東京を出て青森の間では、どこへ行ってもわんさと人がおしかけ彼女を見ている。未開とか進歩とかいうのはその差ではないかという気がするのです。物見高さというかおっちょこちょいというか、他国には見られない現象が起きる。そのおっちょこちょいの気質が明治以後、外国文化をすごい勢いで吸収する力となっているのではないかと、これを読んで感じたのです。