農山漁村文化協会編「聞き書 三重の食事」より(四日市図書館の本です)
大正の終わりから昭和に初めにかけての食について、著者は、主に鈴鹿市稲生町での聞き書きによります。
お正月(ハレ)の日のご馳走はどんなだったでしょうか?鈴鹿には、正月の様子をよく表現した、こんなわらべ歌があります。
「正月さんはええもんや、赤っかいべべ着てちゃらはいて、雪より白いまま食べて、こっぱのようなかど(さんま)そえて、下駄の歯のようなもち食べて・・・」ちゃらとは鈴のついた塗り下駄、又は新しいぞうりのことである。
元旦の朝は家族揃って雑煮を食べる。雑煮に使う大根入りの汁は、おおつもごに三日分つくってかめに入れてあるので、かめから一回食べる分づつをなべにとる。味付けを濃くしてあるので、水を加えて薄め、餅を一人あたり五~六切れの割合で入れて炊く。
二日には、包みもちで必ずぜんざいをつくって食べる。年末に作った鏡餅にひびが入り、あんこが出てくるので、それでぜんざいを作るのである。
さて、お正月のご馳走はどんなだっただろうか。
上の段、左から 田作り・れんこんの煮しめ・なます・酒 二段目左から 煮豆・ごぼうの煮しめ・黒豆 3段目 こんにゃくの煮しめ・数の子・にんじんの煮しめ・しぐれ炊き 下段が 雑煮 となる。
昭和30年代のわれわれの時代には、野菜の煮しめは少なく、かまぼこ、なると巻き、昆布巻き、たまご焼き、きんとん等が加わり、むしろそちらに人気があった。
雑煮は、四角い切り餅で、鰹だしの汁に菜っ葉を入れた簡単なもの。かしわを入れたりもする。