皆出席のTさんの感想です
第1回「秋刀魚の味」(昭和37年遺作)から、第5回のサイレント映画「生まれてはみたけれど」(昭和7年)を挟み、年代を遡って上映された全9作品。小津ワールドにどっぷり浸ることが出来た幸せに心から御礼を申し上げます。
さて、最終会の「晩春」(昭和24年)についての感想ですが(またまた長くなってすみません)冒頭のタイトル文字の下に(昭和24年完成)とありました。ということはクランクインはいつ頃だったのでしょう。諸事情があって結構時間を要したのではありませんか?
そう思わせるヒントがあちこちの場面にありました。
看板・・・駅名の表示が{驛倉鎌北}と右から左へ書かれ
巌本真理のコンサート会場には「提琴演奏会」と書かれ
銀座のビルの宣伝文字はカタカナで左から右へ書かれ
七里ガ浜では進駐軍が立てたとおぼしき看板に「Coca Cola」や「Capacity 3t」と書かれています
おそらく当時は戦後の大変革が行なわれていて、世の中が大混乱していたのでしょうね。そんな目まぐるしい変化の渦の中にあって、小津氏は日本人の財産である伝統文化や建物等は絶対に守るべきとの考えから、この映画の中に茶の湯や能のシーンも取り入れ、又 京都の清水寺や鎌倉の神社仏閣でのロケを行い、驚くほどの長撮りをしていますね。
俳優の演技については
原節子の能舞台の鑑賞シーンを絡ませての、様々な表情の変化に息を呑みました。白黒画面に無言という効果も手伝い、美しさを通り越して凄みさえ感じられました。
更に彼女の姿勢の良さや身のこなしの軽やかさ。
先年亡くなられた大女優“高峰秀子”はエッセイの中で
「人間(特に女優というもの)は姿勢が大事。身体の中心を1本の棒に貫かれているがごとく立ち、操り人形のごとく軽やかに動くこと」と言っていますが、原節子もまさしく同じです。
笠智衆は、ふだんはあまり感情を表す演技はしていないのですが、娘の結婚式から一人帰宅し、机の上のりんごをむくシーンでは、包丁さばきの不器用さと、落とした肩の線から父親の寂しさがひしひしと伝わってきました。
そして、それとは打って変わって愉快な場面もありましたね。
堅物親爺の彼が、娘の友人からオデコにキスされて、思わず見せた満面の笑みは“圧巻”でとてもユーモラスで都会的な演出でした。めでたし めでたし
長い間、本当にありがとうございました。
第1回「秋刀魚の味」(昭和37年遺作)から、第5回のサイレント映画「生まれてはみたけれど」(昭和7年)を挟み、年代を遡って上映された全9作品。小津ワールドにどっぷり浸ることが出来た幸せに心から御礼を申し上げます。
さて、最終会の「晩春」(昭和24年)についての感想ですが(またまた長くなってすみません)冒頭のタイトル文字の下に(昭和24年完成)とありました。ということはクランクインはいつ頃だったのでしょう。諸事情があって結構時間を要したのではありませんか?
そう思わせるヒントがあちこちの場面にありました。
看板・・・駅名の表示が{驛倉鎌北}と右から左へ書かれ
巌本真理のコンサート会場には「提琴演奏会」と書かれ
銀座のビルの宣伝文字はカタカナで左から右へ書かれ
七里ガ浜では進駐軍が立てたとおぼしき看板に「Coca Cola」や「Capacity 3t」と書かれています
おそらく当時は戦後の大変革が行なわれていて、世の中が大混乱していたのでしょうね。そんな目まぐるしい変化の渦の中にあって、小津氏は日本人の財産である伝統文化や建物等は絶対に守るべきとの考えから、この映画の中に茶の湯や能のシーンも取り入れ、又 京都の清水寺や鎌倉の神社仏閣でのロケを行い、驚くほどの長撮りをしていますね。
俳優の演技については
原節子の能舞台の鑑賞シーンを絡ませての、様々な表情の変化に息を呑みました。白黒画面に無言という効果も手伝い、美しさを通り越して凄みさえ感じられました。
更に彼女の姿勢の良さや身のこなしの軽やかさ。
先年亡くなられた大女優“高峰秀子”はエッセイの中で
「人間(特に女優というもの)は姿勢が大事。身体の中心を1本の棒に貫かれているがごとく立ち、操り人形のごとく軽やかに動くこと」と言っていますが、原節子もまさしく同じです。
笠智衆は、ふだんはあまり感情を表す演技はしていないのですが、娘の結婚式から一人帰宅し、机の上のりんごをむくシーンでは、包丁さばきの不器用さと、落とした肩の線から父親の寂しさがひしひしと伝わってきました。
そして、それとは打って変わって愉快な場面もありましたね。
堅物親爺の彼が、娘の友人からオデコにキスされて、思わず見せた満面の笑みは“圧巻”でとてもユーモラスで都会的な演出でした。めでたし めでたし
長い間、本当にありがとうございました。