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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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“彼岸花”に思う

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昨日は、昭和33年公開の小津安二郎監督“彼岸花”を鑑賞いたしました。

この作品にも、小津監督の戦争に対する姿勢が描かれていました。家族で箱根の十国峠へ旅行に来たシーンです。

「あたしねえ・・・」

「なんだい」

「時々そう思うんだけど、戦争中 敵の飛行機が来ると、よく皆で急いで防空壕へ駆け込んだわね。節子はまだ小学校へ入ったばっかりだし、久子はやっと歩けるくらいで、親子四人真っ暗な中で、死ねばこのまま一緒だと思った事あったじゃないの」

「ウーン、そうだったねえ」

「戦争は厭だったけれど、時々あの時の事が、ふっと懐かしくなる事あるの。あなた ない?」

「ないね おれァあの時分が一番厭だった、物はないし、つまらん奴が威張ってるしねえ」

小津監督は、大声で叫ぶのではなく、嫌悪感で反戦を表現しています。

“彼岸花”はもう何度も観ていますが、何度観ても至福の時をいただけます。娘の結婚に反対する頑固な親。策を講じて説得にあたる友だち。平和で幸せな時に浸りながら、小さな事件はやがて解決を迎え、無常観を含みながらまた“せんぐりせんぐり”次の時代へと進んでいきます。

小津監督は、アグファカラーの朱赤を気に入り初めてカラーで撮りました。気になったのは居間にある赤いやかんです。吉田喜重監督の「小津安二郎の反映画」の一節で思い出したのが“静物のまなざし”という言葉でした。赤いやかんが道具として役立っている様子は見えません。むしろ、役者と我々の間に存在して、家庭内の出来事を静観しているようです。私たちがやきもきする気持ちを知って「まあ、もう少し様子を見ましょうよ」と語っているように見えました。

 

それから、自宅の撮り方が山田洋次監督の“家族はつらいよ”と似ていることです。坂の下からカーブを描いて登って来た(画面)左に玄関があります。山田監督が意識したのかもしれません。

また、最後に披露する笠智衆さんの詩吟(楠正行)は意外と長かったようです。“長屋紳士録”でも、覗きからくりを披露していますが結構芸達者な方のようでした。晩年、中野翠さんがインタビューをされています。小津監督に見出され、“ロボット”のような役者に徹してきた一方で、激しくストレートに喜怒哀楽を表現する笠智衆が居た。たとえば“好人日記”(昭和36年)での変人教授役、“酔っぱらい天国”(昭和37年)でのアル中おやじ役、“大根と人参”での蒸発おやじ役等。そこには、滑稽で、哀れで、煩悩たっぷりの、時にはやりすぎと思われるほどの芝居をしている笠智衆が居た、と。


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