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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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第13回 辻さんと諏訪公園界隈

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昭和三十一年九月四日、諏訪公園を麻生病院側から北東方向に撮られた写真だ。後ろには屋台がずらりと並んでいる。前に見えるのは藤棚。空襲では焼けずに残ったのだろう。神社の松も弱々しい。アドバルーンが群れを成して待機している。それより何より私が懐かしいのは、右に見える出店(でみせ)だ。公園内の四日市幼稚園に通っていたこともあり、この出店にはお世話になった。二軒あって、握り締めた十円でしっかり楽しませてもらった。

一本一円のくじを五円で引き、残りはわけの分からないものを買った。お買い物自体が楽しみだった。

 

昭和三十三年七月二十四日、諏訪公園市民壇前。今日は六時半から映画が始まる。何の映画か?チャンバラか、西部劇か。市民壇に張られた幕の前に子供たちは集まる。やがて集まってくる大人たちに負けないよう特等席を取る。一番良い席で観るのだ。大人たちの影で観られなかったら、裏に回ってでも観るのだ。

市民壇は戦争の名残らしい。でも、僕たちには格好の遊び場で、裏の階段から上がって、壇の真ん中に立つと世の中が広くなり、自分中心に地球が回っているような気分になった。少し照れくさかったけれど、気分は最高だった。

 

昭和三十三年六月、諏訪公園市民壇裏の通りを西方向に見た。この先、北西方向に当時の赤線地帯と呼ばれていた春告園が広がる。

この年四月一日に売春防止法が施行され、全国で三万九千軒の店と従業婦十二万人が姿を消した。

開店準備が出来て、来客を待つバーの従業員。寿屋チェーン店の看板が見える。この年石原裕次郎の日活映画「嵐を呼ぶ男」「陽のあたる坂道」「風速四十米」が大ヒット。裕次郎のイカス姿に若者はあこがれた。自転車の向こうに麗人急募の張り紙が覗いている。麗人とは古い表現だ。近年めっきり見かけなくなった。

諏訪公園西側より南東方向を望む。中野小鳥の看板。遠くに藤棚が望める。左には四日市幼稚園と図書館が並んでいた。

 


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