“商工春秋 10月号”より
四日市商工会議所様発行 商工春秋10月号“東海道五十三次 桑名 富田立場之図”より 「狂歌入東海道」と呼ばれるシリーズのひとつ。二軒の焼き蛤屋の店舗で蛤を焼いている。その香りに惹かれたか、道行く者の一人は顔を振り向け、もう一人は、立ち止まって焼き上がるところを見ている。店内で休息をとる駕籠舁き(かごかき)二人の姿が印象的である。...
View Articleみんなで“続 男はつらいよ”を鑑賞しました
9月23日に鑑賞した“続 男はつらいよ”の寅さんはとても元気です。そして、みんなが集まって笑いながら観ることの大切さを痛感しています。...
View Article"続 男はつらいよ"感想2
前回、届いたTさんの感想に、火鉢の絵がお父さんの手によるものではないかとありました。冒頭の夢から覚めるシーンは、伊賀上野の柘植で撮られたものです。四日市とは近い距離ですので可能性は充分あります。万古焼の白い火鉢に青い松の柄は、大正焼といい、画工水谷氏によって数多く作られたそうです。この火鉢がお父さんの手によるものかどうか分かりませんが、水谷氏の元でこの模様を描いてみえたという事でした。...
View Article第10回 公園通り
昭和三十三年三月十五日。公園通りから諏訪公園に向かって撮った写真。諏訪公園南大通りのネオンサインのアーチが見える。この年の十月には、ここに大きなアーケードが造られる。 正面に四日市市立図書館、現在のすわ公園交流館が見える。この建物は熊沢氏から昭和の御大典を記念して、本町通りの旧警察署(現在のほんまちプラザ)と共に寄贈されたものだ。...
View Article第11回 諏訪公園南に並ぶ屋台
昭和三十二年五月十三日 雨上がりの道を、勤め帰りの二人が通る。諏訪公園南の麻生医院前から三番街に向かって撮られた写真だ。 公園に沿って通りには屋台が並ぶ。北側にも十数軒並んでいたから公園の周辺は飲み屋だらけだった。女手ひとつで生活の糧に始めるのには、屋台は手っ取り早かったのだろう。考えてみると、戦後の街の構成に、飲食の店がかなりウエイトを占めていたように思う。...
View Article"男はつらいよ 第8作 寅次郎恋歌”
“四日市市市民文化事業 寅さんからの招待状”二本目の上映は10月28日金曜日午後6時より“男はつらいよ 第8作 寅次郎恋歌”でございます。製作会社の松竹は、“男はつらいよ”“続 男はつらいよ”新 男はつらいよ““男はつらいよ...
View Article前田賢司さんのコラムより
今日は“四日市祭り”。店に立ち寄ったMさん曰く、朝日新聞のコラムに獅子舞の発祥が阿倉川であるらしいと書いてあったとのこと。阿倉川といえばMさんの地元である。獅子舞は小さいころから慣れ親しんできた。練習に3日行ってやめた経験がある。早速、しまぐち屋さんで拝借して読むと、前田賢司さんの投稿である。...
View Article"男はつらいよ 第8作 寅次郎恋歌”2
博の父、諏訪飈一郎(ひょういちろう)(志村 喬)は、妻に先立たれる。葬儀に駆け付けた後も残る寅次郎。その夜、りんどうの花の話を聞く。飈一郎の口から放浪の寂しさ、侘しさが語られる。 「・・・そう、あれは、もう十年も昔のことだがね・・・わしは信州の安曇野というところに旅をしたんだ。...
View Article春告園と港楽園
公園南通りの屋台から西へ進むと 諏訪公園の西側一体は、赤線地帯“春告園”だった。辻さんの、これはまさに盗撮であります。 昭和三十三年七月二十四日。現在の二番街、大学前あたりから西に向かって撮られた写真。この年の四月、売春禁止法が施行された。 この地域一帯を港楽園と呼ばれ、諏訪公園西の春告園と共に四日市の赤線地帯だった。...
View Article津 彼岸花映画祭
昨日の中日新聞に掲載された。10月9日に津市で「彼岸花映画祭」がひらかれる。入場無料 向かって左が実行委員の吉村英夫先生。「東京物語」は来年2月17日(金)四日市でも上映する予定です。
View Article第14回 諏訪神社界隈
昭和三十二年十一月十五日、ちょうど四十六年前の今日。諏訪神社の七五三風景。なんと大勢の人が七五三を祝ったことか。拝殿前は人でごった返している。政成稲荷の前に人だかりがある。香具師でも居るのか。その中を堂々と帰る小学生。いつもは自分たちの遊び場だが、今日は少し勝手が違う。...
View Article第15回 連鎖街のにぎわい
昭和三十三年六月二十二日。諏訪中通リ(現在のすずらん通り)を東向きに、辻 俊文さんが撮った写真。右に諏訪サロン、岩田洋服店、笹井屋、北京飯店。左に岡女寿司、チェリー理容店と並ぶ。諏訪中通りの路地を入ると長屋のような建て方になっていて、連鎖街と呼ばれている。ここには飲食店が多い。長屋は火事でほとんど焼けた。...
View Article第16回 1号線の変遷
昭和三十三年六月一五日、一号線かどや前から南方向を望む。本格的に舗装工事が始まった。木枠で囲ったところにセメントを流しているようだ。ガードマンという人も言葉もまだ無い。工事中の脇をオート三輪やオートバイが通る。仮の道路の間に樹木が植わっているところを見ると、セットバックして一号線は、かなり拡げられたことになる。...
View Article第17回 諏訪新道の水害
土地の低い中心商店街は、数年に1度は浸水した。昭和35年7月9日、辻さんは、カメラを持って諏訪新道へ出かけた。八百八食料品店前から東方向にカメラを構える。写真中央に円形屋根の“ぜんざいのうまいや”赤や青のネオンまばゆい食堂だった。道路を横断してアーチがある「四日市名物 へのへのもへじ(うまいや)のマーク」。その左に“スギノトーキ”、“川口屋呉服店”“水谷理容店”と並ぶ。...
View Article第18回 昔日の中央通り
昭和三十年五月十七日、未整備の中央通りから南を望む。右に農協会館、道を挟んで水九印刷が建つ。近鉄四日市駅の建設はこれからだ。それにしても彼女たちは、どうやってこの水溜りを超えるのか。...
View Article第19回 近鉄四日市駅前の賑わい
昭和三十三年三月八日、肌寒い小雨の中、駅前(農協側)から降りた人々が、近鉄駅へ向かって小走りに駆ける。番傘を差している婦人。三重交通のバスは、ボンネットバスだ。春を呼ぶ雨は、やがて上がりそうな様子だ。 雨上がりの駅前...
View Article第21回 スワ百貨店開店2
昭和三十九年九月五日、スワ百貨店開店当日の早朝。建物を取り囲むようにお祝いの花が並ぶ。辻さんは、白揚書房前から撮る。 やがて通りは搬入車でごった返す。(コピーのため不鮮明) 辻さんは屋上階へ上がり、カメラを差し出して下の混雑を撮る。セレモニーは終了した。割られた薬玉(くすだま)が下がっている。...
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