歌舞伎“伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)”を観たのは30年ほど前になるでしょうか。歌舞伎好きだった親父のお供で御園座へ出かけました。ほとんど訳が分からず居眠り状態でしたが、伊勢が舞台であるのと殺戮シーンは印象に残っています。
この舞台は、実際に起きた事件に基づいて作られました。
寛政8年5月4日の午前1時頃、普段から酒癖の良くない医師 孫福斎宮(まごふくいつき)は、外宮と内宮の間に位置する間(あい)の山 古市遊郭の油屋という料理茶屋で、突然狂ったように、九人の男女を次々と手にかけ、うち二人が即死、七人が重軽傷を負いました。この事件を題材に取り五十二日目に大阪で初演されたのが“伊勢音頭恋寝刃”です。
福岡 貢(みつぎ)は伊勢の御師(おし)だった。御師は全国に散らばって、伊勢神宮のお札を売り参拝団体の案内役を生業とする人々でした。
淡路のお殿様の命令で、家来の今田万次郎は名刀 青江下坂(あおえしもさか)を探して伊勢に来る。ようやく手に入れるが遊びに使い込み名刀は悪人 徳島岩次の手に渡る。万次郎の友人 福岡貢は、ようやくその刀を取り戻し、報告の為刀を持って油屋を訪ねる。ところがあいにく万次郎は留守。そこで、帰るまで待つと上がろうとすると、女主人の万野は刀を預かると云った。実は、油屋には貢の馴染みのお紺がいた。また、万野の後ろには悪人 岩次が居て、名刀を取り返そうと画策していた。
刀は、一旦下男の喜助が預かる。ところがお紺は接客中。万野はお鹿を相手にさせ、懇ろになったとお紺に焼きもちを焼かせる。知ったお紺は貢に裏切られたと怒り、貢は見受けするつもりだったのにと喧嘩になって、下男の喜助から刀を取り油屋を飛び出す。
この時、名刀青江下坂は、万野によってすり替えられていた。偽物と分かり悪事に気付いた貢は、油屋に舞い戻り、狂ったように万野、岩次と切り殺していくのでした。
ところが、万野の企てを知っていた喜助は、密かにすり変えておいたのでした。万野らが偽物を渡したと思い込んでいたのは、実は本物だったのです。切り殺した刀は、青江下坂であったことを知った貢は愕然とします。
人の善意と悪事がごちゃごちゃになって、ま、ややこしい話です。