昭和6年、幸町に「泗水キネマ」が開館した。昭和8年、名前を「帝国館」に変えるが経営不振となり、昭和11年名古屋(20世紀フォックス名古屋支社長の水野栄三郎に経営者が変わるが、所有者と経営者との間にトラブルが発生し一時休館となる。昭和16年7月に所有者が変わり(経営者、水野氏側の勝利!)「四日市劇場」と改称、県下一の設備という宣伝での再出発となり、振興キネマ作品の「大都会」「葉隠大名」で開館した。空襲で全焼したが、翌々年には改装オープンしている。
※ “よつげき”または“かまぼこ劇場”の名で親しまれていた。昭和30年代には封切り済みの東映映画を主にした三本立ての二流館だった。小学5年生の頃、大映映画の仁木悦子原作「猫は知っていた」を友達と三人で観に出かけた。場内は満席、煙草の煙はもうもうとして休憩時間にはもく拾いのオジサンがうろついていた。三人は後ろ通路の手すりに腰かけ鑑賞していたが、ひとりが「怖いので帰る」と言い出し、しぶしぶ帰路に着いた。