1947年2月27日の夕刻7時頃、専売局台北分局の取締官、傅学通(ふがくつう)ら6名と台北警察4名が、闇煙草を取り締まるために太平町(現在の延平北路)に赴いた。そこで、闇煙草を密売していた林江邁(りんこうまい)の煙草と売上金を没収した。林江邁は40歳の寡婦で、10年前に夫が亡くなったとき、二人の息子と、お腹には娘がいた。そのため生活は苦しく、闇煙草を売ることで何とか生活をしていた。林江邁はお金を返してほしいと涙ながらに訴え、小競り合いになるうちに警官の一人が、銃の柄で林香舞の頭を殴ったため、頭から血が流れた。周りにいた人々がこれを見て憤激し、専売局のトラックを破壊するなどして反撃した。この時、威嚇のため発射された銃が男性にあたり、翌日死亡している。
翌朝午前9時、ドラを鳴らし4500名に膨れ上がった民衆は太平町の派出所を壊し、行政長官 陳儀への陳情に向かった。しかし、そこには鎮圧軍隊が配置されており、一斉射撃を受けて多数の死亡者が出た。運動は全土に拡がることとなる。九州ほどの大きさしかない台湾で起きた事件。制圧の手は全土にくまなく及んだことだろう。多くの知識人や青年が捉えられ銃殺された。台湾の将来にとって大きな損失だった。
映画“非情城市”は、基隆に住む林家に焦点を当てた物語である。家族は、終戦、二・二八事件、弾圧と社会の激動に巻き込まれていく。最後は高齢の父親と、気が狂った三男、そして、兄弟各々の妻と子供たちが残る。(気が狂ったと云えば“冬冬の夏休み”にも“寒子(カンスー)”という気のふれた女性が出てくる)
右 トニー・レオン
あくまでも、これはファミリーの物語だ。時代に翻弄されながら生き抜いていこうとする家族の物語である。