Quantcast
Channel: 花の四日市スワマエ商店街
Viewing all 2335 articles
Browse latest View live

続 札幌まで来て カレーかヨ!

$
0
0

札幌は雪祭りが開催される大通りのテレビ塔地点を基準に、碁盤の目のように道路が整備されている。歩道が両脇にあって4車線ほどの広い道路が一方通行になっている。慣れていないと走りにくそうだ。

“カレーショップ エス”は中央区南3条西4丁目にあった。つまりテレビ塔から南へ3本目、西へ4本目のところになる。

勤め帰りのサラリーマンの後について階段を下りる。続いて店内に入ると、中は満席。「ご予約はお済ですか?」とお姉さんが困り顔で尋ねる。

「予約はしてないです」と答えると、孫たちを見て「あ、カレーですね。隣です」とのご返事。どうやらお店を間違えていたらしい。

店内は意外に狭くテーブルが五つほど。入った時は誰もいなかったが、帰る頃にはほぼ満席だった。

“スープカレー“なるもの食するに初めてだが、怒り心頭のおばはんは、スープをひと口で顔つきが変わった。「これは癖になりそうなおいしさ!」

大きなじゃがいも・人参・ピーマン・チキンが半透明のスープに浸かっている。お皿のご飯は好きなように食べればいい。

スープをひと匙。ご飯をつけてもうひと匙。丸ごと一個のじゃがいもは、壊すと懐かしい香りがほのかにする。骨付きチキンは、揚げてあるのか脂肪が取れて身が締まっている。脂っぽくない。

テイクアウトにレトルトを販売しているということで、ご命令に従い3袋求めて帰った。まだ袋は開けていない。

ひと口に“カレースープ”といっても色々なようで、名古屋でも食べることができそうだ。

いや〜、なんでこんな旨いものが全国に広まらないのか不思議なくらいの、美味しい食べ物でした。

札幌まで来たら、やっぱサッポロ一番みそラーメン!ということで帰りの空港では“けやき”の味噌ラーメン。

少々長い待ち時間に、お姉さんが折り紙二枚を孫に渡す。一瞬 なごんだ空気が流れる。安い投資デアル

私はチャーシューメン、以外の方はコーンバターラーメンと味噌ラーメンをいただきました。

焼きトウモロコシにじゃがバーター、ソフトクリームと、食いもんにはアンマ金使わんかったナァ。


“幸せの黄色いハンカチ”

$
0
0

次回の“文化の駅サテライトステーション事業 松竹キネマへの誘い” 第3回は、昭和52年 山田洋次監督の“幸せの黄色いハンカチ“です。

高倉健は倍賞千恵子のもとへ帰る勇気がありません。迷っているところに武田鉄也と出会います。鉄也は北海道旅行を楽しみながら、何とか女性を引っ掛けてやろうと考えています。そんな態度を高倉健は叱ります。

夫婦愛の素晴らしさを、北海道を舞台に歌いあげた感動の作品「幸せの黄色いハンカチ」に、ご期待ください。

衝撃の映画“電光石火の男”

$
0
0

出来上がって間もない近鉄四日市駅。この驚くべき画像を見たのは、近所のクリーニング屋さんのケースの上だった。

「先日のテレビでやってたので、思わず写真に撮っておきました」

それはモノクロではなく、生き生きとしたカラー写真だった。しかも映画だということだ。

DVDを是非観たいと思いつつ、いたずらに日が経っていた。

ところが昨日。中学校同年会の役員会で顔を合わせたS氏から“電光石火の男”の話しが出た。しかもDVDを持っているとのこと・・・。早速、お借りすることに・・・。

昭和35年5月公開の日活アクション映画“電光石火の男”は、主演が今は亡き 赤木圭一郎、そして二谷英明・浅岡ルリ子・宍戸譲が出演している。

内容は今一つ。そんなことはどうでもよい。この映画は四日市が舞台で四日市でロケーションされているのだ。

本町通りに架かる船のアーチも懐かしい。国鉄踏切あたりから撮られたのか。

諏訪新道左にスギノトーキさんの看板が見える。かかるアーチの四日市名物はのんきやさん。この左にあった。真白に砂糖のかかったぜんざい。のんきやのねずみは猫のように太いっていた・・・とか

そして1周年記念の御在所ロープウェイ。開通は昭和34年だったことになる。

相生橋では赤木圭一郎と浅岡ルリ子によるロケーションが行われた。当時のロケ現場では、大変な賑わいだったのではないだろうか。

手前に相生橋。南東に向かって撮影された。

そして、何よりのご褒美は、(新人)吉永小百合の文字が・・・

浅岡ルリ子経営の喫茶店に勤める、吉永小百合は初々しい!なんと15才!

この喫茶店は、四日市旧港に向かう高砂町に建つ。当時の高砂町はまだまだ賑わいをみせていたと思われる。

内容はいまいちだが、すごい映画だった。

※ 映画は素晴らしい!何十年も前の映像が、まるでつい先日のように目前に甦るから・・・映画は、素晴らしい!

衝撃の映画“電光石火の男”2

$
0
0

日活映画“拳銃無頼帖シリーズ”は昭和35年に赤木圭一郎主演で4本製作されている。“抜き打ちの竜”“電光石火の男”“不敵に笑う男”“明日なき男”このうちの第2作が四日市を舞台としている。

しかし、1年間に4本とは、乱作である。が、驚くのはまだ早い。通称トニーこと赤木圭一郎は昭和33年日活入社。超売れっ子となった昭和35年には“霧笛が俺を呼んでいる”など12本の映画に主演している。

“電光石火の男”は、赤木圭一郎を主人公に、二谷英明、浅岡ルリ子、宍戸錠、菅井一郎、藤村有弘、吉永小百合(新人)らが出演している。

ムショ帰りで拳銃使いの丈二は、殺し屋の五郎(宍戸錠)と敵対しながらギャング組織と闘う。堅気になりたいと思いつつ拳銃を握ってしまう。キャバレーがあって、楽団の前で外人の踊り子がショーをみせ、キャバレーの奥にはやくざの事務所があるという、昔、外国映画で観たのとよく似たパターンである。

撮影から50年以上経過しており、当時のロケ状況は、地元本町商店街でも今や伝説と化している(浅岡ルリ子が来ていたのだから、すごい騒ぎだったろう)。何度も言うが、今日でも美しい映像で見ることが出来るのは驚嘆に値する。

赤木圭一郎は翌36年2月。撮影所内でゴーカートに乗り、アクセルとブレーキを踏みちがえて時速60キロで倉庫に激突して亡くなる。享年21歳。あまりにも早い死だった。

旧港の風景

現在の旧港

旧港に続く高砂町

現在の高砂町

相生橋から東へ渡る

現在の相生橋付近

橋詰の東北側

親分の事務所は空き地に…

相生橋の南東側

現在は埋め立てられ公園に・・

※ 現在の本町プラザ。当時は熊沢ビルで四日市警察署があった。

※ 湯の山の御在所岳山頂。ここで赤木圭一郎と浅岡ルリ子が会い、そこへ宍戸譲が出現!決闘となる!

 

衝撃の映画“電光石火の男”3

$
0
0

おかしなことに気がついた。旧港で丈二はジーナ・中川と話をする。

その後、貞夫と高砂町の喫茶店により、その後仁作の事務所を訪れる。

旧港から西へ向かい、高砂町に寄って相生橋を渡る。

貞夫は先に事務所へ、丈二が来ることを知らせに走る。相生橋を渡り、川沿いに北へ・・・。

丈二の来た後ろには、相生橋と、その向こうに高砂町がある。

大津組事務所へ駆け込む貞夫。その向こうを電車が走る。ところが、ここに線路のあるはずはない。川沿いの北方向は稲葉町である。

つまり、事務所の建物は別のところで撮られたことになる。

セットでの撮影

菅井一郎の仁作と話す丈二・・・。

開通1年後の御在所は、悪天候。お天気になるまで待てなかった当時の忙しいロケ事情があったと思われる。

 

急遽・臨時総会を開催!

$
0
0

全国商店街振興組合連合会実施の、平成25年度 商店街まちづくり事業 第2次募集“商店街街路灯のLED化”の交付決定を受け、本日9月13日午後1時30分より、四日市諏訪商店街振興組合では、事業承認と借入限度額決定の為の臨時総会が開かれました。

総組合員数 76名、委任状出席 49名、出席者数 13名で合計62名の過半数で実施され、事業承認と借入限度額の3000万円が決定いたしました。まずは、オメデトウゴザイマス

これより、市の商業農水部、商業勤労課様のご指導をいただきながら、速やかに「交付申請書類」の作成と提出に移らせていただき、「交付決定通知書」受領次第入札に移行します。そして、平成26年2月15日には各商店街のLED化事業の完了書類の提出でこの事業は終了いたします。まず まずは メデタシ!

と、なるか?

山田洋次監督“息子”

$
0
0

10月の「松竹キネマへの誘い」は「息子」です。和久井映美のことを知ったとき、永瀬正敏は号泣します。「だからどうしたって言うんだ!いいでねえか!」何度観ても感動する映画「息子」は、10月25日上映です。

冠婚葬祭 力!

$
0
0

身内のみの家族葬が増え、結婚式も「心から祝ってくれる人たちだけで」と簡素化しつつあります。

頭がよくなる 四字熟語 斎藤 孝著 角川書店の中に「冠婚葬祭」力(りょく)の掲載がありました。

冠は、昔でいえば元服、大人になる儀式。婚は、婚礼。葬は、葬儀。祭は、祖先を祭ること。日本人は、古来こうした人生の節目の儀式を尊んできました。

儀式は、心にけじめをつける役目を果たします。心を新たに入れ替え、魂の力を心に刻み込む。節目を心に残る形で迎えることは、とても大事なことです。

儀式というのは手続です。段取りを踏むこと自体が大切です。本来、儀式は厳粛な緊張した空気を以て執り行われ、その空気が魂を引き締めて活力をもたらす効果がありました。伊勢神宮の式年遷宮も、またしかりです。

一生のなかでの大きな節目を真摯に迎え、きちんと人生の節を刻んで生きていくことは、人間の魂の力に敏感になることでもあります。

「死」というものの捉え方もそうです。身近な大切な人を失ったつらさを、通夜、葬儀、という儀式を経る時間の経過の中で徐々に受け止め、此岸(しがん)=現生と、彼岸(ひがん)=あの世 を身体に刻むようになる。

冠婚葬祭力は、真の意味で身につけておきたい力、生きる知恵です。

人生の節目、節目に儀式という緊張が大切である。区切りとしての儀式が人生に活力を与える、斎藤氏はそう言っております。


あの  カレースープが 懐かしい!

$
0
0

某コンビニのひたすらな努力は、ランチの種類にも表れている。

先日、お昼。一人ボッチのランチにこれを買い求め驚いた。

札幌で食べたカレースープの親子丼番ではありませんか!

マズソー

ここのカレーは、ライスと具に分かれており、食べる時にカレーの具をご飯にかける。多分、このパターンの親子丼番であろうと察する。

半熟玉子とかしわが数個、海苔を散らしたスープ状のものが上の段に入っている。下の段にはご飯。スープ状の親子を啜りながらご飯を食べるか、一気にご飯にぶっかけて食べるか、それは好き好きですが、これはあのカレースープのパターンに通ずる。

口当たりがゴワゴワしておらず、マ、年寄り向きと云うべきか。

欲を言えば、ジャガイモ等の野菜の旨みが欲しかった。

オイシソー

それにしても、某コンビニの販売食材の努力は、高評価に値する。

コンビニランチのレベルアップに大いに寄与した。今までコンビニに敬遠していたおっかあが、ここにだけには訪れている。

第2回 ジャズフェス開催!

$
0
0

秋晴れの下、第2回 四日市JAZZ FESTIVALが駅周辺の商店街を舞台に繰り広げられました。

当、表参道スワマエにもステージが設けられ、1番街方面から聞こえてくる歓声を気にしながらの演奏でしたが、さいごのEssy&Keisyさんのステージでは、メチャクチャ盛り上がっておりました。

街がミュージックで溢れかえったそんな一日、昨年のように雨が降らなくて、まずはメデタシ メデタシ

“幸せの黄色いハンカチ“

$
0
0

幸せの黄色いハンカチ”は、昭和52年10月1日に公開され、第1回 日本アカデミー大賞・第51回 キネマ旬報賞・第32回 毎日映画コンクール・第20回 ブルーリボン賞・第2回 報知映画賞など数々の賞を受けています。山田洋次監督はこの映画の製作にあたって、アメリカ映画“シェーン”からヒントを得たといわれています。(“遥かなる山の呼び声”(昭和55年製作)の冒頭にもシェーンの曲が出ております)

※ 余談ですが・・・昭和45年製作の“家族”・昭和47年の“故郷”と“遥かなる山の呼び声”を民子三部作と呼ばれております。

山田監督が原作ピート・ハミルの“黄色いリボン”を知ったのは、「男はつらいよ」の撮影の合間に倍賞千恵子が「幸せの黄色いリボン」を口ずさんでいたのを聞いたのがきっかけでした。(この歌と原作とは直接関係ないようですが…)

当時歌手であった“海援隊”の武田鉄矢はこの時が映画初出演。都会出身の桃井かおりはすんなり決まりましたが、地方出身の男の配役が決まらなかったところ、プロデューサーの紹介で武田になったそうです。(赤いきつねさんもお歳をとられました)

撮影当時、武田は運転免許を持っておらず(運転は本当にヘタで、免許取得に20年かかった)、運転シーンはトレーラの牽引によって行われ、ロングで撮る場合は背格好の似た小道具のスタッフの運転によりました。

勇作(高倉健)と光枝(倍賞千恵子)の最後のシーンで、監督はずっとロングで撮っていましたが、「やはり、ここで観客が見たいのは妻の顔だ」という編集担当者の意見があり、後日少数のスタッフと倍賞だけで夕張に赴きロケが行われました。(このシーンは数秒でした)

最後の別れのシーンで、武田鉄矢がどうしても涙を流せないのを見た高倉健が、長期間の撮影に感謝する旨を述べると、武田は感激して涙をぽろぽろこぼしたといわれています。この瞬間に別れのシーンが撮影されました。

“幸せの黄色いハンカチ”は、高倉健がやくざ映画から久々の人情映画出演となり(同じ年に八甲田山を撮っている)、役者としての転機となった作品でした。勇作が久しぶりにビールを飲みラーメンをすするシーンでは、高倉は2日間何絶食して撮影に臨んだということです。

              ウィキペディア フリー百科事典 より

 

やくざ風の男でたこ八郎が出ています。たこ八郎はボクサーの経験があり、その時耳を切ったと記憶しています。赤塚不二夫の処に居候していて、みんなで海へ遊びに行ったとき溺れて亡くなりました。お酒を飲んでいたそうです。ユニークなコメディアンでした。

27日午後6時上映の“幸せの黄色いハンカチ”を、皆さんと一緒に楽しんでください。

“息子“上映会無事終了

$
0
0

昨夜は心配されていた台風の影響もなく小雨程度で、40名以上(42名)の皆様にお集まりいただきました。本当にありがとうございました。

当日届いていた感想の手紙です。前回の“幸福の黄色いハンカチ”それに今回の“息子”と山田洋次監督の作品が続いています。この感想は、おそらく“幸福の・・”を観ての感と思われます。沖の島町にお住いのTさんからです。

「とてもよかったと思います。山田洋次監督の作品とてもすきです。映画を見せていただいて、本当に有り難うございました。月に1回の映画に来るのを、楽しみにしています。」

関係者一同、上映会を行ってきてよかった!と思える瞬間です。ありがとうございました。

いつも感想文をいただくTさんからです。

「今回の作品は、田舎[ゆったりとした自然に囲まれた岩手の山里]と、都会[便利で文化的な暮らしだが喧騒の中にある東京]の見事なまでの対比でした。

老体にはそろそろ難儀になってきた田舎暮らしを一人貫こうとする父親。東京に出て企業戦士となり、出世を念頭に日夜身を削って働く長男。エリートの兄とは比べるべきもないが、ハンディを持つ恋人を心から愛し、父親の応援を受けて、身の丈に合った二人の暮らしをスタートさせようとしている次男。

この父と息子二人の生活振りを軸として、まわりの様々な人間模様が描かれていました。

それにしても山田監督は俳優の使い方が上手いですね。沢山の有名(タレント)人がチョイ役に嬉々として出演している感じがします。

又、原田美枝子(長男の嫁)、浅田美代子(長女)、和久井映美(次男の恋人)の三女優が

各々の役柄をとても丁寧に演じていて好感が持てました。

中でも難しい役柄を抑えた演技で見事にこなしていた原田美枝子は天晴れ!彼女は確か15歳くらいで、そのグラマラスな姿態を惜しげもなく披露した“青春映画(恋は緑の風の中)”で鮮烈なデビューをしたと記憶していますが、年齢を重ねる毎に贅肉?をそぎ落として、今や品格漂う数少ない女優の一人に数え上げられています。

そして、私生活では、かつて小泉京子の夫であった永瀬正敏。今では味のある中堅俳優として活躍しつつあります。

この映画に出演した三国連太郎をはじめ、多くの人たちが故人となりました。往年の名優が次々と去ってしまったのは残念ですが、これからは次代を背負う彼ら彼女らに大いに期待できるのではないでしょうか。」

今年の4月に故人となった三国連太郎さんの名演技を見せていただきました。息子の結婚相手にハンディがあることを知らされ、父親としてとった態度。それは山田監督がいつも見せる、社会の底辺で苦しむ人々に向けるやさしい眼差しでした。素晴らしい監督です。

商工春秋11月号が届きました

$
0
0

商工春秋11月号が届いています。今月の“絵はがきに見るよっかいち7”は“秋の鈴鹿山麓(水沢)”です。

市内水沢地区から望む鈴鹿山系の雲母峰(きららみね)や鎌ガ岳は、11月頃になると、美しい紅葉で彩られる。

カエデ、ヤマボウシの赤やイヌシデ、シロモジの黄とスギナなどの常緑樹の深い緑が織りなす錦模様は、自然の中に描かれた壮大なビョウブ絵のように美しい。

とありました。暑い暑い夏が終わったかと思ったら、もう  なんと  秋も 終りです。

“息子”の感想が届きました

$
0
0

Kさん、感想文有難うございました。

「大変良い映画だと思います。大筋としては、シェークスピアの劇のごとく(観たことはありませんが)道楽息子が一番の親孝行であったという筋では…

尚、映画を観ていて?と感じたことをいくつか…

※ 最後の部分で、主人公が家に帰り家族団らんの幻を見たとき、そのまま亡くなってしまうのかと思った。(心臓の薬を飲む伏線があったので…)

・死亡で終わってはあまりにも悲しい映画になってしまいますが、やがて静かに訪れる最後を予感させるシーンではありました。

※ エリート商社マンである長男の喫っているタバコがエコーだった。(鉄工所の梅津 栄さんが喫っている方が似合っているか?)と思っていたら…親父さんのことで妻と話し合っている場面ではマールボロに替わっていました。

・よく観てみえました。商社マンがエコーは似合いませんね。改めて見直しますと、長男は父親のエコーをもらって吸っていたようでした。

※ 和久井映美の役が、ろうあ者の設定なのはある程度納得できますが、初めて永瀬が倉庫に来たとき、すぐに気付いたのはなぜでしょう?

・恐らく気配を敏感に感じたのではないでしょうか?赤い糸の気配を・・・・・

“息子“感想2

$
0
0

Mさん、いつも感想をいただきありがとうございます。

「有難うございました。最高の名作を観させて戴き、実に感動一杯です。年老いた昭男(三国連太郎)が、己のことより子供の心配をして、幸せを願っている気持ちが切実でした。

「儂はお前を東京に出したこと、今、とても後悔している」と息子の哲夫(永瀬正敏)に戒めの言。まさに親の鏡。私は心を抉られました。

上京して征子(和久井映美)との対面し、不安を持ち直して雪深い我が家へ辿り着き、灯りの消えている居間へ足を踏み入れた瞬間、昔懐かしかった一家だんらんの夕餉を思い出し、両親、妻、幼かった三人の子供との幻の再会が叶いました。「自分はこれで人生を全うした」と強く思う昭男。最高のクライマックスを味あわせて戴きました。

鑑賞後50時間たった今でも、感動の余韻に浸っております。有難うございました。改めて最高の名作に感動、感動です」

Mさんにはいつも手放しで感動していただけます。嬉しい限りです。

12月には「喜びも悲しみも幾年月」を上映させていただきますので、寒い候になりますが、健康にご注意して是非ご参加ください。感涙必須でゴザイマス。


11月の朔日恵比寿デス!

$
0
0

とてもさわやか日となりました。

本日一日は、朔日恵比寿。表参道スワマエの抽選会の日です。

野菜100円市はみず菜以外は好評の売れ行き。(11時ころ完売) みず菜は、私大好きなんですが・・・15時ころまで売れ残りました。

朔日恵比寿は、楽しみに待つお客さまも多くなり、一日(ついたち)にはなくてはならないイベントとなってまいりました。

一日餅もぜひ行いたいのですが、今回はお休みでした。

 

こども作品コンテスト

$
0
0

本日より11月4日までの三日間 文化の諏訪駅2階にて こども芸術作品コンテストが開催されています。トートバックのデザインと 商店街のコマーシャル映像を見て 投票していただきたいと思います。

ということで 本日より始まりました 皆様ぜひ一度 覗いてみてください

ジオラマシリーズ1

$
0
0

安いデジカメ買いました。そうそう、ジオラマが撮れるようになっております。早速挑戦でアリマス。

まずは、スワセントラルパーキング屋上から眺めた風景です。

高いところへ登るのが必須条件。ということで、近鉄四日市方面に向かって撮りました。1号線に沿って左に建つのが岡三証券であります。

屋上から諏訪新道の東方向を望む。太陽の照ってない方がミニチュアらしいカモ。次回への反省点です。

閑話休題

$
0
0

昨夜は、鷹鮨さんにてご相伴にあずかりました。

まるで、一時にお正月が来たような!

左から、生さば、白魚、トロ、赤身、うに、生さばと並びます。右にガリとワサビ。

回転寿司と比べるのは野暮というものでアリマス。

「なんやぁ?小っさいなぁ」と思っておりましたのが、ちびちび頂戴いたしておりますと、満腹になるのでゴザイマス。

蛤の大きいこと、汁の少ないこと、マッコトお上品なこと デアリマス。

こうして、バーチャルなお正月の宵は 静かに暮れてゆくのでありました。

そうだ 京都へ行こう!

$
0
0

四日市商店連合会恒例の視察バス旅行は、京都嵐山・妙心寺・あぶり餅の旅でした。

先日の豪雨被害を受けられた、料亭 錦さんは立派に営業を再開されていたようでした。(入らないからよく分からない)

その後、妙心寺入り口に建つ“花園会館”にて食事でゴザイマシタ。

食する前に写真をパチリ!

それからこちらもパチリ!さて、何を撮っているのかな???答えは明日!

Viewing all 2335 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>