線香のメーカーが毎年色紙を送ってくれます(オオキニ)
今年は午年 高野山 潮音寺住職 南岳裕史氏の筆によります
“應事無方” 事に応じて方無し
物事に対してどのようにでも対応できる。
いかなる時でも いかなる事でも 対応できるのは知恵である
線香のメーカーが毎年色紙を送ってくれます(オオキニ)
今年は午年 高野山 潮音寺住職 南岳裕史氏の筆によります
“應事無方” 事に応じて方無し
物事に対してどのようにでも対応できる。
いかなる時でも いかなる事でも 対応できるのは知恵である
先日掲載した宮沢賢治の詩“雨ニモマケズ”。その中の“ヒドリノトキハナミダヲナガシ”の“ヒドリ“とは、いったい何ぞや?
幼少の頃の教科書は確か“ヒデリ=日照り“と記憶しています。宮沢賢治の誤字であると解釈されてきたようですが、1989年当時の宮沢賢治記念会理事長がこれに異説を唱えました。
“ヒドリ”とは岩手の方言で「小作人の日雇い給金」のことで「日雇い稼ぎに出ざるを得ないような厳しい暮らし向きのこと」を云っているのではないかと発表してみえます。「干ばつの日照り」ではなく、日雇い仕事の「日取り」のことだということで議論を呼んだそうです。これで多少解釈が違ってくるようですね。
マ、どうでもいいこと デショウカ?(ブログ 華やぐ日々よ・・・詠山の占い放談 2011.11.7 より)
第2回 実行委員会を開催 ポスターが決定されました 今回は力作2案のうち 意見が真っ二つに分かれ 慎重な審議の結果、こちらのデザインに決まりました
注 ポスター内のイベント詳細は前回のものを参考にしたまでで 今年の詳細ではありません 念のため
「こどもと環境と観光」の開催テーマにふさわしいイベントに仕上がりますよう スタッフ一同がんばってまいります 仕上がりにご注目ください
文化の駅の映画会に毎回出席、感想をいただいているTさんから昨日得た情報です。
109シネマズ四日市で上映中の“午前十時の映画祭”が、4月から“新 午前十時の映画祭”として新しくスタートするということ。
今回は往年の邦画も何作か加わった。市川崑監督の“細雪”岸恵子・佐久間良子・吉永小百合と女優陣が並ぶ
内田吐夢監督の“飢餓海峡”伴淳三郎・左幸子・三国連太郎の熱演がみもの。
深作欣二監督の“仁義なき戦い”はそれまでの任侠映画に終止符を打った。
川島雄三監督の“幕末太陽伝”はフランキー堺出演で落語“居残り佐平次”から材をとっている、是非観たい映画。
黒澤明の“羅生門”・野村芳太郎の“砂の器”・山田洋次の“幸せの黄色いハンカチ”(この三作品はサテライトステーション事業で上映済)
そして、植木等の“ニッポン無責任時代”と並ぶ。
いや〜 上映したかった観たい名作ばかりです。入場に1,000円必要ですが、設備の整った大画面で、ゆっくりご鑑賞ください。
忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」のナレーションで始まるラジオ番組“君の名は”がお茶の間に流れたのは昭和27年〜29年のこと。空襲の数寄屋橋で出会った氏家真知子と後宮春樹は、再び会うことを約束しながらすれ違いの人生。番組が始まると銭湯の女湯から人が消えるといわれたほどでした。※今回の上映は以前お風呂屋さんを経営してみえた方からのリクエストです。
そして“君の名は”は岸恵子と佐田啓二で昭和28年〜29年にかけて映画化される。第7回の松竹キネマへの誘いでは、全3部作6時間を超える作品であるため短縮した総集編(4時間弱)を前篇と後編に分けて上映させていただきます。おかげで、突然数寄屋橋の再会シーンになったりして不自然なところもありました。
この作品も風光明媚なロケ地が選ばれていて、終戦から間もない時代を覗くことができます。北海道美幌町・弟子屈町、三重県志摩市(大王町・志摩町)、長崎県雲仙温泉、新潟県佐渡市等。
このポスターを見たTさん曰く「この時、岸恵子は何歳だったのだろう。二十歳そこそこに違いないが、此処まで自然な老け役をこなすことができたのは、大女優というしかない」と感心してみえました。是非ご覧ください。
辻写真館の奥さんが写真を持ってきてくれた。昭和61年2月、21億円をかけて着工した“じばさん三重”は、翌年8月完成した。
市民公園周辺では、一番早く建てられた地上7階、地下1階の建物だ。工業高校が移築された跡で市民公園はまだ更地で何にも出来ていない。
この写真は、辻さんが、おそらく須藤ビルの上から望遠を使って撮ったものと想像できる。手前交差点が西浦通り。松坂屋も博物館もまだ建てられていない。百五銀行は、中央通り南側から現在の場所に移動した。現在の三交インのホテルが建つアピタへ渡る信号の処に近鉄興業によるベガ・スピカ・リゲルの映画館があった。遠くにその建物が望める。工業高校移転で、いち早く映画館ができたものと思われる。
この写真、辻さんが須藤ビルから撮ったと云ったが、実際に出かけてみると須藤ビルはじばさん三重のほぼ南側。この位置は堀田ビルから撮られたものだ。堀田ビルの竣工は昭和58年だから当時はすでに建っていた。駅西はすっかり様変わりしている。
これはアピタの入り口からの写真だが、今ではじばさん三重は全く望めない。右側に映画館ベガ・スピカ・リゲルがあった。
映画館前から撮られた写真
建設途中のじばさん三重
真ん中にじばさん三重が建つ
ありがとうごいざいます。昨夜は57名の皆様にお集まりいただき、満席状態でした。あるおばあさんは、道に迷いながら会場にお越しいただきました。あるおじいさんは、夜道を国道沿いに自転車で帰って行かれました。寒い中お越しいただき、皆様には感謝であります。
今回の作品“君の名は”の感想は、戦前派と戦後派で大きく分かれました。ご高齢の方からは懐かしさと感動の声が聞かれました。リクエストいただいた元お風呂屋さんは「本当に、ラジオ番組が始まると女性湯のお客さんが減りました」と話してみえました。一方戦後派のTさんからは、氏家真知子のウジウジした態度が理解できないとのこと。「なんで、数寄屋橋の上で別れるとき携帯の番号聞いとかんだんや!」とでも言いたいところでしょうか。
上映が4時間に及ぶため2回に分けさせていただきました。次回、第2部は1月31日金曜日午後6時より上映させていただきます。はたして二人は結ばれるのでしょうか?
平成26年2月号の“商工春秋”は「四日市港ポートビルからの夕景」です。
四日市港ポートビルは、四日市港開港100周年記念として平成11年に建設された。高さ100?で最上階の14回展望室からは360度の景観が楽しめる。眼下の四日市港や市街地はもちろん、晴れた日は鈴鹿山脈や知多半島、伊勢湾が見渡せる。日が沈むと石油コンビーなーとの夜景がキラキラと輝き、四日市の魅力を発信している。
Tさんから感想です。
昭和27年のラジオ放送時刻には女湯が空になったとの語り草となって有名な「君の名は」阿里道子のナレーションや、織井茂子「君の名は」「黒百合の花」。伊藤久男で「君は幸せか」の歌も大流行したとか。
前篇を観てだけの感想ですが・・・・
東京大空襲の迫力あるシーンは圧巻でした。当時の撮影技術の高さと苦労を想像します。
一方、物語の展開はサッパリ判りませんでした。ヒロイン真知子の突飛な言動、行動が不可解です。その時々の気分で豹変する彼女は、無責任極まりなく、周囲の善良な人々を翻弄し続けます。自分の気持ちにだけ忠実で、超自己チューな彼女のパーソナリティは精神分析すればかなりの問題女性ではありませんか?一見弱々しく超美人ゆえに始末が悪いのです。
それに比べて、街娼あがりの二人の女性(一人は混血児を産み育てている)の自立心と健気さ。又、姉御肌の綾の物事に真っ直ぐに立ち向かうたくましさ。菊田和夫の本意は何処にあるのでしょう。後編が楽しみです。
岸恵子についてのコメント・・・・彼女はずーっと自分の力だけで世の中を渡り続けてきた強い女性です。彼女は撮影当時、しばらくの間付き合ってきた鶴田浩二との恋愛を解消しています。お揃いで作らせた金のネックレスを引き千切って、あの数寄屋橋から川へ投げ捨てたとか、(著書「ベラルーシュの林檎」に紹介されています)
こんな彼女に自分とは正反対の真知子役を演らせたのは、類稀なる役者根性だったのでしょうか。
「君の名は」の第2部上映会が昨夜行われました。
50名近くの方に集まっていただき、予想以上の盛会でした。皆さんの希望を聞いて上映映画を決める大切さを感じました。内容も結構面白く、姑が嫁をいじめたり、旦那が母親に味方したり、娼婦だったことを隠して結婚しようとしたり、その過去を旦那が知っていて許したり、恋敵が男の奪い合いをしたりと結構盛りだくさんの内容でした。
久しぶりに試験なるものを受けた。四日市商工会議所120周年記念事業“第2回 四日市もっと知り隊検定”。100名以上の方が受験してみえてオドロキ!盛会で何よりです。
今、自己採点してみたが全問70題のうちどうやら32点らしい。4択だからまぐれ当たりに毛が生えた程度である。まだまだ時間があると思いつつ準備をしてなかったので(小学校のころから成長ナシ!)こんな程度と慰める。
さてどんな問題が出たのか?
□江戸時代の東海道。日本橋から四日市宿の辻までの距離は? 答:99里7町7間(約百里)
□江戸時代、東海道と四日市港を繋ぐ通りの名は? 答:浜往還
□四日市宿の四日市市指定有形文化財の古文書は? 答:四日市宿本陣清水家文書
□川島神社にある有形民俗文化財は? 答:算額
□四日市市指定無形民俗文化財のお諏訪踊りが行われているのは? 答:足見田神社
□三重銀行の前身 四日市銀行設立が認可されたのは? 答:明治28年11月
□伊勢湾台風殉難慰霊碑が建立されているのは? 答:海浜緑地公園内
□四日市港ポートビル(高さ100メートル)がオープンしたのは? 答:平成11年
□タケノコの産地として有名なのは? 答:川島地区
□国指定文化財、千歳運河にかかる現役最古の鉄道可動橋とは? 答:末広橋梁
□文禄3年に実施された太閤検地の写しがあるのは? 答:井島文庫
□市の上下水道局が販売しているおいしい天然水の名称は? 答:泗水の里
等である。
難しい問題もあるが、実は商工会議所発行の公式テキストから出題されている。これさえ読んでおけば70点満点がとれた筈である。
何度も繰り返すが、読む時間がなかった!の言い訳は、小学校の頃から変わりナシ!デゴザイマス。
「久しぶりに悪い頭が刺激されたのは心地よかった」といったところが感想です。
今回の企画に関わったスッタッフの皆様、汗を拭き吹きのご尽力、どうもありがとうございました。
毎月1日は朔日恵比寿!野菜100円市は大好評!オープン10分で半分ほどが売れ、あとは まったりユックリ かぶらが数個売れ残りました。実行部隊は6名ほど、一生懸命よく動いていただけます。感謝!
「某店で買い物したけど抽選券もらえなかった」とお客様が抽選場で話す。「券を出してください!」といいたいところです。確実に浸透してきています。
Tさんから後半(2部と3部)の感想をいただきました。
「君の名は」第2部(北海道編)を観ての感想です。第3部については雲仙の観光案内という意味以外には何も見出せませんでした。ラジオの原作を聞いていないので、よく話の内容が解らないので???
北海道編では怒りさえ憶えました。「どうしてもひと目お目に掛かりたかったのです」という例の真知子の殺し文句にグラリと揺れる春樹の幼い心。失恋の病を治す薬として若いアイヌ娘の情熱を利用した罪は重いですね。
昔の恋人(真知子)が訪ねて来たら、婚約者であるアイヌ娘に、目の前で「これ持って先に帰って行ってくれ」と子供騙しのような土産の箱をポイっと渡して真知子と二人馬車で立ち去る、なんて無神経な男でしょう、春樹は。
結局、絶望した娘は湖に身を投げて死んでしまう。娘にずーっと思いを寄せてきた若者の悲しみ(憎しみ)は察するに余りある。その憎い春樹と真知子に何の復讐もしない若者、及びアイヌ社会。不思議で悲しいです」
この映画は、アイヌである北原三枝の死亡や、米兵との間に生まれた子供への批判等、露骨な人種差別が描かれています。これも戦後間もない時代を反映しているのでしょうか?姑の嫁いじめや結婚観など、今の時代では理解困難な内容でした。それにしても真知子さんの判断力の弱さにはヘキヘキします。貴方の曖昧さがすべての悲劇の源です。
Kさんからも感想をいただいています。
「メロドラマの王道ともいうべき作品を観させて戴きました。○主人公は美男・美女 ○見事なまでのすれ違い ○ライバル(恋敵)の出現 ○嫁と姑の確執 ○これでもかとの不幸のてんこ盛り ○最後はとって付けたかのようなハッピーエンド
他の方々の見事な感想に比べると拙い文章ですみません。
只、この作品は短縮版(総集編)と専務が話してみえましたので登場人物によっては関係性がつかめない方々も何人か出演してみえました」
6時間以上の3部作を4時間弱に短縮したのが総集編です。おかげで突然数寄屋橋の再開シーンとなったり、北原三枝の自殺が早すぎるような気がしました。反面、場面展開が速いので退屈せずに鑑賞出来ました。
いよいよ第8回は、黒澤明監督の「白痴」です。ドストエフスキーに魅せられた黒澤監督は何とかして映画化にと取組みました。しかし、出来上がった作品は4時間25分の大作。そして、会社の要求で3時間30分に短縮。さらに一般公開時には2時間45分にまで短縮させられました。黒澤監督は会社との折衝で「フィルムを切るなら 縦に切れ!」と有名な逸話を残しました。
白痴では小津監督にはない原節子の美しさが表現されています。厳しい表情の原節子は必見です。
少し早かったのですが、最終回「蒲田行進曲」が3月14日が上映日ですので、ポスターを作りました。
昨夜も改めて観なおしましたが、いい映画です。最初と最後に撮影所の雰囲気がとてもよく出ていました。
銀ちゃんトヤスさんの狭間で揺れ動く子夏(小夏)松坂慶子のために作られた映画です。今は太っておられますが。
雪が降りました。雪は午後からみぞれとなり15時頃には雨になりました。おかげで道路はベチャベチャ状態。明朝の凍結が心配です。
昨年暮れから表参道スワマエ商店街の中ほどにあるKさん(空き店舗だった)が諏訪神社に土地を返還するのに建物を壊したい旨の連絡が入っておりました。
「又、空き地が増えると困るなぁ」と思いつつ悪戯に日が経つうち、1月下旬から2月上旬にかけて解体工事に入りました。
スワマエから覗いた
奥へ進むと!
本日、現場を覗くと、なんと西の道路(連鎖街)までクランク状に抜けているではありませんか。スワマエ小路の出来上がりです。これは“通り初め”をやらかさなくてはなりません。赤ちょうちんが並ぶ路地には・・なりませんよね。
一方、スワマエから空き店舗をなくそうとする動きも起こしております。諏訪西振興組合と諏訪振興組合が共同で“こどもの居場所づくり”を検討中。具体化できる方向に進めそうです。又、サンシ前火災跡地も再建の目途が立ちそうです。“ソウデス”ばかりで頼りない報告しかできませんが、現状にくじけず絶えず活性化が念頭にあれば、必ず良くなってくることを確信しています。
少し前の報告で申し訳ありませんが、さる1月24日金曜日四日市商工会議所において、全国商店街支援センター実施の“商店街の組織強化事業 商店街の10年後を目指したビジョン作り”の勉強会がありました。(3回実施の第1回)
1番街・諏訪西・諏訪の各振興組合から12名ほどの役員が参加しました。
まず冒頭、お話をされた方は下諏訪からわざわざおみえになった原氏でした。
原氏は街づくりを自分の仕事を生かしたロボット工学を採用し、20軒だった商店街を空き店舗なしの40軒に増やしました。敢えて組織にトップを作らず、各々がそれぞれイベントを展開、市は告知のみを担当しているそうです。やれることからまずやっていこう。仕事後の時間を生かし、空き店舗の改装はみんなの手作り。地域の温かいつながりが、東京からの若い人たちのチャレンジショップを迎えます。こうして工房型のお店が並びました。古民家を改装した飲食店は予約待ち状態だそうです。
街に愛着を持った人々がいて、暖かさを感じて集まってくる若者。理想的な町が想像できます。
年に一度。まち中が来街者で溢れ返るイベント。それが“ぶらりしもすわ三角八町”。とにかくWebページを訪れてみてください。※リンクの仕方を忘れたので、文字検索 三角八丁 でド〜ゾ
2月21日午後5時より黒澤明監督の「白痴」を上映させていただきました。上映前には43名の皆様がお越しいただいておりましたが、その後、数名増えていたようです。寒い中お越しいただき、ありがとうございました
早速、IさんからFaxでの感想を頂戴いたしました。ありがとうございました。
「約56年前にこの映画を観て、サッパリ理解できず、居眠りをしていた記憶があります。多分、黒澤とドストエフスキーの組合せに関心あり、それだけの理由ですが、今回この映画が地元で再び観られるとは。どういう映画だったのだろうという関心で来ましたが、途中、退屈、終わりまで観てやっと分かった?感じです。
帰ってから佐藤忠男氏の今回のチラシ文を読み直し、何とか理解しました。森雅之、久我美子って案外の演技派なのですね。原節子はトマドイ演技で気の毒。昭和26年にこんな映画が作れたなんて、黒澤さんは恵まれた一生です。黒澤作品の中でも特異な一作が観れ、もう観ることもないと思っていた作品が最後まで観られて、どういうストーリーか今回やっと納得できました。次回の深作欣二監督の“蒲田行進曲”は楽しみです」
Tさん、今回も力作をありがとうございました。
「この作品には、前年のヴェネッィア国際映画祭グランプリを受賞した「羅生門」に引き続き出演した黒澤組の面々(森・三船・志村・千秋等)に加え女優陣も原節子・久我美子・東山千栄子を起用。この豪華キャストと監督の並々ならぬ職人魂を投入したにも拘わらずヒットしなかった理由は何なのでしょうか?
恥ずかしながら、私は65歳の今日までドストエフスキー等ロシア文豪の小説を読み通したことがありませんので、図書館で小説のダイジェスト版と黒澤の映画製作にまつわるエピソードを読んでみました。
⦅黒澤は世界中から映画化は不可能と言われていた「白痴」に40歳で挑戦。練りに練った脚本で完成した映画は、ラッシュでは6時間にも及び、これでは興業不可と判断した松竹にどんどん削られて、評論家にさえ理解不能と酷評され、惨憺たる結果に終わった。
ドストエフスキーはこの小説で「この世の中で最も純真無垢な魂を持つ人間(すなわち白痴)を描きたかったとのことだが、全く異なる宗教観(ロシア正教と仏教)を持つ日本人に映画という手段で、その世界を理解させようとする試みはやはり無謀であったのかもしれない。これがもし“演劇”である場面だけ焦点を絞っての表現だったらあるいは成功していたかもしれない。最後におまけの話・・・ヒロインの命名について ナスターシァ→那須妙子⦆
結局、私などには理解し難い作品でしたが、俳優陣は雪の中を延々歩かされたり、長台詞を一気に喋らされたり、撮影中は随分大変なことだったろうと思いました。
キャストの中に東畑VIP:岸恵子とありましたが、当時18歳の彼女がパーティの女客の一人として(台詞なしで)登場していたのでしょうか。見逃してしまったようで残念です。
黒澤は美術にも大変才能があって絵も相当上手い様です。この作品のセットにも彼のセンスが生かされていたように感じました。(雪の祭典や、風変わりな部屋、妙子の始終一貫した黒ずくめの衣装等)。
Tさん、岸恵子の画像を見つけました。1951年松竹入社初めての映像です。大船撮影所を見学するうちに、吉村公三郎監督にスカウトされ、大学入学までということで「我が家は楽し」に出演。それ以前の映像です。
昨日の中日新聞から。
鳥羽市の古民家“かどや”がリニューアルされて、市民の集いの場として運営されている。注目は、指定管理者として市民ら230人以上が運営にかかわっていること。理事14人が毎月会合を開き施設の魅力向上に知恵を絞っている。
年忘れコンサート・生け花・写真やパッチワーク等の作品展・郷土史家を招いた生涯学習講座・子供たちが夏休み合宿する寺子屋等、これらとよく似たことは何処でも実行されているが「重視するのは、訪ねるたびに発見や感動が得られるとの意雰囲気作り」とある。たとえば入口に季節の俳句を貼り出したりしている。
会長の清水氏曰く「市民が親しみを感じ、何度も足を運びたくなる施設が目標」多くの人達の意見を聞き、絶えず新しい企画を打ち出してみえるところに感心致しました。