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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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左も同い歳だよ

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古典落語100席 立川志の舗著 PHP文庫より

まえがきにこうある

突然ですが私の大好きな小噺をひとつ

「先生右足が痛いんですが診ていただけますか?」

「はい、レントゲンの結果からは関節炎や神経痛や痛風じゃありません。あなたの右足は大丈夫ですよ、おじいさん」

「じゃ、何ですこの痛みは?」

「まあ、お歳のせいでしょう」

「先生、いいかげんな診断しないでください」

「どうしてです?」

「歳のせいって、右足も同い歳だよ」

これ読んだ時、笑っちゃいました。皆さんにも公表をしておりましたが、実は、笑えなくなりました。

わたくしの膝が痛くなったからです。病院に行ったら歳のせい、治るので安心してくださいとのこと。ところが、痛い片足をかばって歩くので、反対の足もおかしくなってきた。「歳のせいって、左足も同い歳だよ、せんせい!」


寅さんは進化している

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四日市諏訪商店街振興組合では、これまで「男はつらいよ 純情編」「浪速の恋の寅次郎」「寅次郎夕焼け小焼け」を鑑賞してきました。(まだ3作しか上映していません)まだまだ良い作品があります。

「寅さんは進化している」落語家の立川志らくさんはNHK出版「男はつらいよ パーフェクトガイド」でこう書いています。

1作目から順に観ていると、その変貌ぶりに驚愕する。最初の頃はかなりアウトローで、ヤクザに近い雰囲気がある。それが第8作「寅次郎恋歌」では、博の父親(志村喬)に人間の生活とはどういうものかを教わり、第10作「寅次郎夢枕」では幼なじみ(八千草薫)に惚れられて、寅の方が逃げる。そして第11作「寅次郎忘れな草」と第15作「寅次郎相合傘」でリリー(浅丘ルリ子)との恋で大人になり、第18作「寅次郎純情詩集」で恋する人(京マチコ)に死なれ、第20作「寅次郎頑張れ!」で若い二人(中村雅俊・大竹しのぶ)の恋の指南役を務め、第26作「寅次郎かもめ歌」では若いマドンナ(伊藤 蘭)に父性愛が芽生えている。そしてその後、満男の恋の応援をするポジションに移行していった。

第40作「寅次郎サラダ記念日」で、「何のために勉強するのか?」という満男の問いに、

「勉強したやつは困ったときにきちんと筋道を立てて考えることが出来る」と答えている。

第39作「寅次郎物語」は、賢島と二見浦がロケ地となっており。マドンナの秋吉久美子との爽やかな出会いあり、母親(五月みどり)を探して子供と旅する涙ありの良い作品となっていて、是非、皆さんと鑑賞したい作品です。

「男はつらいよ 寅次郎物語」(第39作)より

「参考書でも買え」と、柴又駅まで見送りに来た満男に小遣いをやる寅次郎、ふと満男が尋ねる。

満男「おじさん」

寅 「なんだ?」

満男「人間ってさ」

寅 「人間?人間がどうした?」

満男「人間は何のために生きてんのかな」

寅 「何だ、難しいこと聞くな」

寅 「なんて言うかな、ほら、あー生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるじゃない。そのために人間生きてんじゃねえのか」

溝口健二監督“赤線地帯”鑑賞

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昨夜は6名ほどで溝口健二監督の“赤線地帯”を鑑賞いたしました。

Tさんの感想です。

水谷専務から「黛敏郎の変な曲で、この映画は始まります」と前置きがあって、一体どんなに変なのかなと思っていたら、ホントに変でした。

まるで幽霊でも出てきそうな音。スチールギターかな?否違う。アッあれだ きっとそうだ“鋸バイオリン(胡弓)”違いますか?

新進気鋭の作曲家であった黛敏郎。何かそれなりの意図があったのでしょうねェ。

この映画、各々の女たちの心のヒダが実に丁寧に描かれているなあと感心したのも道理で、脚本は女性(芝木好子)の手になるものでした。

作品中、私が一番心引かれたのは浦辺粂子演ずる心優しい“ばあやさん”でした。この商売の表も裏も知りつくし、長年働き続けてきたつつましい心を持った女の人です。

そして、面白くて笑ってしまったのが、この店の名前「夢の里」。現代なら「〇〇の里」というのは老人ホームの名称に多いですよね。

出演者の番付を見ると、ミッキー役の京マチコが一番目に来ていましたが、彼女が主役だったのでしょうか?(誰もが主役となり得る役柄でしたが)

他の女達が皆着物姿でいる中、ミッキー一人がそのグラマラスな身体を生かして始終洋装でした。そして、いつも何かムシャムシャバリバリ食べていて、まさに肉食系女子。頭も良くて人の心の動きや、その成り行きもよく判っていて、自分の運命は自分で切り開いて行こうとする強い意志を持った近代的な女を演じていて、小気味よかったです。

一方、ゆめ子は息子に。ハナエは夫に心もお金も捧げる古いタイプの女。やすみは世の中で信用出来るのは金だけと割り切る実業家タイプの女。

そして新米の少女しず子は、果たしてこれからこの世界でどんなふうに泳いでいくのか。観客に想像させる終わり方は、心憎かったですね。

Mさん、感想をありがとうございました。

フランク・キャプラ監督“ある夜の出来事”

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 次回3月18日の映画鑑賞会も、三重県視聴覚ライブラリー様のご提供で、フランク・キャプラ監督の「或る夜の出来事」を上映させていただきます。

入場無料  ぜひお越しください

溝口健二監督“赤線地帯”感想2

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Kさんからも感想をいただきました。ありがとうございました。

「弱き者(強き者)汝の名は女なり」女性の強い面、弱い面の両方をこの映画は見せてくれました。

三益愛子。嫁ぎ先の両親に対してはガンバリを見せるも、息子に対して弱さが出て精神的に参ってしまう。

京マチコ。ツッパッて強がっていても、実家の家庭的な面で(特に母親か?)非常にもろい面をみせる。

小暮実千代。左派系の旦那を持ち生活面では苦しく弱く見えても、絶対生き抜く強さがみえる。

若尾文子。「傾城の恋はまことの恋ならで金持ってこいが本当(ほん)のこいなり」というざれ唄がピッタリの強さしか自分にはみえませんでした。

最後に音楽ですが、初めは何か半音ずれた様な変な感じがしていたのですが、ラストシーンで初店の女の子の不安にピッタリ合っていて不思議でした。

“海街diary”アカデミー作品賞受賞

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是枝裕和監督の“海街diary”が、第39回日本アカデミー賞最優秀作品賞に選ばれた。まずはおめでとうございます。

鎌倉は江の島の古い家に住む三姉妹は、放蕩の父親の死をきっかけに腹違いの妹を引き取り、四人で生活を続ける。肉親や知人の死を体感しながら姉妹がしっかりと繋がって生きていく姿は、健気で美しい。鎌倉に住み、朝ごはんを食べ、電車に乗るところは、小津安二郎監督の“麦秋”を思い出させるが、かたや晩年と結婚、家族の崩壊が描かれているのに対して、この作品は、将来の不安に負けずに力を合わせて生きる女性像が清々しく描かれている。

脇役のリリーフランキーもとても味のある良い役をこなしている。

是枝監督の“誰も知らない”が監督を知ったきっかけでしたが、この作品も親に捨てられた子供たちが、先の不安に負けることなく生きていく後ろ姿で終わっていた。この二作品は、淡々と自然に日常を送っていくという点でとてもよく似ている。まさに監督の真骨頂なのだろう。

自然の演技を引き出すため、下の妹のすず(浅野すず)には台本が与えられなかったという事だ。カチカチに固めた小津監督の撮影法とは全く異なる。又これはこれで味のある作品でゴザイマス。“誰も知らない”も子どもたちに台本は渡されてなかったと想像されます。

“海街diary”は“麦秋”のその後?

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“海街diary”と“麦秋”は共通点があります。是枝監督は“麦秋”を意識して作られたんじゃないかなと思っています。鎌倉市が舞台でも、山手の“北鎌倉駅”と海に近い“極楽寺”とではかなり離れています。けれど、日常が繰り返されていく朝の風景は、時の流れはあっても変わることはありません。

“麦秋”で小津監督は、離れ離れになっていく大家族制度の崩壊を予見しました。原節子の結婚を機に、菅井一郎と

東山千栄子は鎌倉から奈良へと隠居をします。そして、是枝監督は、崩壊後、散り散りになった家族の“その後”を描いているような気がするのです。放蕩の父親と離婚した母に見捨てられた女姉妹四人は、強いきずなで繋がって、鎌倉の旧家を舞台に生きていきます。

群像劇であり、映画の王道を描いた“海街diary”が、日本アカデミー最優秀作品賞に輝いたことは素晴らしいことだと思っています。

黒澤明監督“生きる”

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黒澤明監督“生きる”は昭和27年の作品です。

市役所の市民課長である渡辺勘治は、毎日書類に印鑑を押すだけの無気力な毎日を送っていた。

一方、主婦の集団が高架下の暗渠を公園にして欲しい旨の陳情に押しかけていたが、縦割り行政のためか、たらい回しにされるだけだった。

ある日、腹に痛みを覚えた渡辺は医師の話から胃がんであることを知る。恐怖を忘れようと享楽に我を忘れようとするが、逃れることの出来ない自分に気づく。

それからは、人が変わったようになって暗渠の公園化に邁進する。陳情にやくざと渡り合うなどこのあたりの執念はものすごい。

場面は一転して、渡辺の葬儀の席となる。ガンであることは知らなかったはずだが、彼の変化は何だったのか?と同僚たちは不思議がる。しかし、回想の中から、渡辺は自分の余命を知っていて、不可能といわれていた公園化事業を成し遂げたのだった。

渡辺は、雪の降る夜、公園のブランコに乗り“ゴンドラの歌”を歌いながら亡くなった。

※ 私の何か出来る期間は、あと十年あるかどうか分からない。いのちに限りある中、思い切った仕事が出来、幸せのうちに消えた渡辺氏がうらやましい。映画って素晴らしい!


黒澤明監督“生きる”2

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吉村英夫氏は著書“黒澤明を観る”(草の根出版会)でこのように著してみえます。

「生きる」という映画は、人間にとってもっとも根源的でありながら、それがために難しいテーマを、映像という具体的なもので表現して、見事に成功させている。

面白おかしくという妥協をいっさい排して、真正面から「生きるとは何か」「人間にとって生とは何か。その対象としての死とはどういうことか」を描ききった。「死を宣告された人間は、最後をどう生きるべきか」というなまなましい問題意識を取り上げながら、大衆性というか、観客の誰もが納得し、画面にのめり込むようなものを堅持しつつ作り上げている。つけくわえれば、“生きる”に神の問題、信仰の問題が出てこないのは立派である。

おもちゃから生きがいを見つける渡辺

市役所を止めておもちゃ工場に働く小田切みきの話をヒントに、渡辺は自分にもつくれるものがあることに気付く。それが公園だった。

黒澤は、おもちゃを「つくる」と、公園を「つくる」という一致点をだいじにしたかったような気がする。半世紀以上のぼくら若者は、なにか具体的なものを「つくる」という事に大きな価値をみいだしていた。クワやカマをもって土地を耕し米をつくり、手や足を使って紙や木や鉄でものを「つくる」、すなわち額に汗した労働によってモノを生産することこそが人間が人間であるための基本的条件だと考えていた。

「つくる」作業が、人間の脳みそをきたえ、能力を高め、人間的な思考を高めていく力になったはずである。共同作業が人と人のつながりをつくった。

助役に詰め寄る渡辺

この作品は、第28回キネマ旬報ベスト・テン1位、第4回ベルリン国際映画祭市政府特別賞、第7回毎日映画コンクール日本映画大賞 脚本賞 録音賞、第6回日本映画技術賞、第7回芸術祭文部大臣賞に輝いている。

フランク・キャプラ監督“或る夜の出来事”その1

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昨夜は、三重県視聴覚ライブラリー様のご協力で、フランク・キャプラ監督の“或る夜の出来事”を鑑賞しました。お天気の悪い中、前回参加の方へのチラシと数枚のポスターのみで38名の方にお集まりいただきました。本当に有難うございました。

この作品は昭和9年に作られました。サイレントからトーキーに移ってそれほど年数は経ていないと思われますが、クラーク・ゲーブルの快調な言い回しは素晴らしく、監督がすっかりトーキーをマスターしていたことが想像できます。お借りしたDVDが吹替え版だったことが幸いしているように感じました。

この作品が封切られた数年前から世界は大恐慌に入っていました。暗い世相の中でキャプラ監督は、映画で大衆を元気づけたのです。この作品は、アカデミー賞の作品、監督、脚本、そして主演男優賞と主演女優賞を獲得しています。この快挙は、“カッコーの巣の上で”の登場まで40年間ほど破られることはありませんでした。  つづく

“或る夜の出来事”その2

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フランク・キャプラという名前を忘れてはいけない、と決めたについてはこんな思い出があります。「男はつらいよ夕焼け小焼け」に宇野重吉さんが出演してくださった時、宇野さんが僕にこんな話をしてくれました。

山田洋次“素晴らしき哉フランク・キャプラ”映画の嘘 井上篤夫著 集英社新書より

昭和16年。日米関係が風雲急を告げて、間もなく戦争が始まるのではないかという不安な時代。映画好きだった宇野さんは、死ぬ前に一本映画を見ようと考えました。

そしたら「スミス都へ行く」というアメリカ映画の看板がかかっていた。これを観ようと思ってチケットを買い、ガラガラの客席で見るうちに何だか体の中に活力が湧いて来て、死ぬ気持ちが遠ざかった。もうちょっと生きていこう。死ぬことはないと思うようになり、自殺を止めたそうです。

フランク・キャプラの映画にはよく群衆が出てきます。そこで群衆は人間のあるべき理想に対して、よかった、よかったという思いで皆が拍手喝采する。一瞬でもいい。そんな思いを抱いただけでもこの世は生きる意味があるというようなメッセージです。

松竹の大先輩である小津安二郎とか木下恵介とか吉村公三郎といった人たちは、キャプラを含めたアメリカ映画の偉大な先輩たちの仕事を見て勉強していたのです。小津さんの映画を見ても、喜劇のタッチが大事にされていて、面白い脇役を出して、その脇役で笑わせながらストーリーを運ぶという映画の話術は、主としてキャプラから学んだんじゃないでしょうか。

男の囲炉裏端の会

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3月24日シニアサークル“男の囲炉裏端”の会に招かれて「懐かしの映画館巡り」の会に参加させていただきました。

27名ほどの方が諏訪公園交番前に集まり、諏訪劇場・中映・四日市シネマとグランド・ベガ、スピカ、リゲル・ロッポニカ・三重劇場・弥生館の跡地を視察に出かけました。現在映画館は109シネマズに集中して、単館で残っているのはロッポニカのみです。

風は冷たく感じましたが、皆さん懐かしい話で盛り上がりました。感謝!

“美人東海道”より

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“商工春秋”4月号の表紙を飾るのは“東海道五十三次之内四日市之図(美人東海道)”です。

美人東海道と通称されるシリーズの一つで、歌川広重の保永堂版「東海道五十三次之内四日市」を背景に、一人の女性の立ち姿が描かれている。作者は歌川国貞、後の三代歌川富国である。著名な広重の作品を国貞が写したわけだが、細部は若干異なっている。しかし、保永堂版の見せ場である転がる笠が、きちんと見えるように配置して、構図に気を配っていることがわかる。

女性は、濃い茶色地に青い花弁を散らしたような小袖を着ている。腰の左に赤い抱え帯が見える一方、左脇にこのシリーズで唯一描かれている懐剣と思しきものを抱えており興味深い。扇子を右手に左を見遣る視線の先に、何が見えているのであろうか。

(市立博物館学芸員・田中伸一氏)

四日市中心市街地のゴミ問題

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陽春の候、皆様方におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

日頃は商店街活動にご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。

 さて、4月1日よりゴミの回収方法が変わり、四日市中心市街地である諏訪栄・西新地地区一帯の営業ゴミは、その一切を民間の回収業者に委ねられることとなりました。従って市による回収は居住者から出る生活ゴミのみとなります。

 街は人が集まるところ、ゴミが出ることもあたりまえです(ポスター・チラシ・吸い殻・ティッシュ等)。街のゴミ回収を個々の商店に負担させることは、街の発展に大きく支障をきたすものです。街の役割の大切さをもっと認識していただきたいものです。

 飲食店のゴミ問題と物販の店舗とを一括りに考えてしまうことは、行政側の細かい配慮が欠けていると云わざるを得ません。

 荒療治でやってしまうのではなく、商店街の個々の意見をもっと細かく聞いて戴いていたらと残念に思います。

怒髪天を衝く!

 

第25回エキサイト四日市・バザール開催

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4月2・3日の両日 恒例のエキサイト四日市・バザール2016が開催されました。

桜は見頃、心配されていたお天気も恵まれて大勢の来街者でにぎわいました。

みなさまのご協力ありがとうございました。


映画「赤ひげ」と映画「神去なあなあ日常」

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山田洋次監督が、こんなことを話している。

「張込み」や「砂の器」の脚本を書いた橋本 忍さんは、黒澤明監督と組んで「生きる」や「七人の侍」をつくってきた。しかし、その後、疎遠になっていた。

あるとき、橋本さんは黒澤監督が「赤ひげ」を撮ることを聞いて、スタッフの一人に、それはどんな話だ?と尋ねたそうだ。

彼はこう答えた「若い医者の卵が赤ひげと云う風変わりな医者の弟子にさせられる。最初は嫌で嫌で仕方なかったんだけど、さまざまな体験を経て、最後は“よし俺はこの医者の下で勉強しよう”と決心するまでの話です」橋本さんはその話を聞いて、そんな映画面白くないと思った。

何故かというと、若者が最後に去っていく、というならいい。それは一つの終わり方なんだ。どうしても残らせたいなら、いったん去るんだ。去った若者が再び帰ってくるところでおしまいにすべきだ。

これは「素晴らしき哉、フランク・キャプラ」井上篤夫著 集英社新書 で読んだ。

そして、映画“WOOD JOB!・神去(かみさり)なあなあ日常”(2014年公開)をようやく観ることとなって、アッと思った。山田監督のはなしていたそのままがこの作品にあったからだ。

平野勇気は高校卒業後、わけの分からないままに三重県美杉村の山奥“神去村”へやってくる。そこで林業従事者としてさまざまな体験を経て、時が経ち、やがて別れのときが来ます。勇気は神奈川へ帰ることになるのですが、いったん去って、また再び戻ってくるところで映画が終わっています。神去村へ戻った勇気のその後の生活の一切は皆さんのご想像に任せます・・・といったところでしょうか。

矢口史靖監督、三浦しおんの原作で、とても良い作品です。是非ご覧ください。

泣かせる落語“文七元結”

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落語の“文七元結(ぶんひちもつとい)”は泣かされる人情話です。

落語百選 麻生芳伸 編 ちくま文庫より

左官職人 長兵衛の博奕狂いに愛想を尽かした娘のお久は、吉原の佐野槌(さのづち)へ駆け込みます。娘をかたに、五十両手に入れた長兵衛は、佐野槌からの帰りに鼈甲(べっこう)問屋の手代  文七の身投げに遭遇します。訳を聞くと、集金の五十両を盗られてしまった、とのこと。命には変えられないとその五十両を、長兵衛は渡します。

「おうッ、おおおっ・・・おれだってやりたかねえ、やりたかねえよ。いいか、てめえは怪しい野郎だと思うだろうが、これでもおれは、堅気の職人だ。商売(しょうべえ)は左官だがなあ、つまらねえことで博奕(ばくち)に凝っちゃって、にっちもさっちもいかねえ、首のまわらねえほど借財(しゃくぜえ)ができちゃった。一人娘のお久ってえのが、吉原の佐野槌という旦那場へ駈け込んでこせえてくれた、この五十両だ。女将さんとの約束でね、来年の大晦日までに持ってって返さねえと、娘は女郎になっちまう・・・。おれァいま、おまえにここで五十両やっちまって、来年いっぱいどう稼いだって、職人の痩せ腕じゃ五十両は揉みだせねえ。おれはもう、返さねえときめちゃったがね。こうしてくんねえか、おめえもこの金でもって命が助かった、ありがてえと思ったら、お店(たな)者だァ、たいしたことはできめえが、店の隅へ棚ァ吊ってね・・・不動様でも金毘羅様でもいいから、おめえの信心する神仏を拝んでやってくんねえ。な、吉原の佐野槌に勤め奉公をしておりまする、お久という女でございますが、どうぞ悪い病を引き受けませんように、商売繁盛いたしますように・・・、おまえ、拝んでやってくれ、なぁ頼むよ。えッ、さ、さ、事がわかったら持ってきねえ、持ってきねえッ」

ところが、文七が店へ戻ると、盗られたはずの五十両は、置き忘れてあったという事で、集金先から届けられていました。

このことを聞かされた鼈甲問屋の近江屋卯兵衛は、すっかり長兵衛を気に入り、文七とお久を夫婦にさせて、麹町貝坂で元結屋の店を開いた・・・というお話です。メデタシ・・メデタシ・・・。

泣かせる映画“あん”

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川瀬直美監督・脚本の“あん”を観る。ようやくDVDで観る。(注 ネタめちゃくちゃバレ)

千太郎(永瀬正敏)は、桜並木の下に建つ小さなプレハブで“どら焼き屋”を営む。ある日、手の不自由な老婆(樹木希林)が雇ってくれと訪ねて来る。初めは断っていたが、老婆の置いて行った“あん”を食べてみて、そのおいしさに驚き、雇うことにする。いとおしむように小豆に呼びかけて煮る老婆。ほとんど二人のアップで進行する映画には、ベテランの演技力が問われている。

おいしい“あん”の評判で“どら焼き屋”は繁盛する。映画が始まって約45分間。料理レシピの作品かと思っていたら、状況は一変する。老婆はハンセン病だった。

野村芳太郎監督の“砂の器”が思い出される。ハンセン病を患った父親が子供を連れて放浪するシーンを思い出す。そして、そのことを大家から聞いた永瀬の姿は、山田洋次監督の“息子”を彷彿とさせる。好意を寄せていた和久井映見がろうあ者だと知ったとき、永瀬は天に向かって叫んだ「ろうあ者、それでも良いでねえか!」。しかし、この映画で千太郎は沈黙を通している。やがて店に客は寄り付かなくなり、店をやめた老婆は施設で最期を迎えていた。老婆が千太郎に託したテープには・・・。

「私 ご存じのように子供がいなかったのね 授かったのに生むことを許されなかったの 私が店長さんをはじめてお見かけしたのは 甘い匂いに誘われた 週に一度の散歩の日でした そこにあなたのお顔がありました その目がとても悲しそうだった “何そんなに苦しんでるの”って聞きたくなるような 眼差しをされていました それはかつての私の眼です 垣根の外に出られないと覚悟したときの 私の目でした だから私は吸い寄せられるように 店の前に立っていたのだと思います もしも私に あの時の子供がいたら 店長さん あなたぐらいの年齢になっているだろうなって ねえ 店長さん あの日の満月は 私に こうつぶやきました “お前に見てほしかったんだよ だから光っていたんだよ”って・・・」

樹木希林の「てんちょさん」の言い方が印象に残る。

そして、大家から解雇された千太郎は、再び桜の木の下で“どら焼き屋”をはじめた。

 

午前十時の映画会

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四日市109シネマズで今年も午前十時の映画会が始まっている。

ロバート・デニーロとメリル・ストリーブが通勤電車で浮気するやつが上映中。DVDで観た知り合いのおばあさんが、鼻の下を伸ばしておりました。イヤ~映画って楽しい!

 

“東京物語”三部作 その1

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遅くなりましたが、山田洋次監督の“家族はつらいよ”を観てまいりました。観客は二人。大きな声で笑うこともできず・・・ま、遇い方が 男でよかった デス。

これで小津監督の“東京物語”と、山田監督の“東京家族”そして“家族はつらいよ”の三部作?を観ました。この三作の共通した見せ場である、息子の嫁と父親が語り合う最後のシーン。これらの共通点と違いを再現したいと存じます。

まず小津安二郎監督の“東京物語”

母親が亡くなり、息子たちはせわしげに帰ってしまう。一人残って義父(笠智衆)の世話をしていた紀子(原節子)がいよいよ東京へ帰る日を迎える。

「お父様、今日、わたくし、お昼からの汽車で・・・」

「そう、帰るか」

「はあ」

「お母さんも心配しとったけど あんたの これからのこと なんじゃがなぁ やっぱり このままじゃ いけんよ 何にも気兼ねはないけぇ ええとこがあったら いつでもお嫁に行っておくれ もう昌二のこたぁ わすれてもろうて ええんじゃ いつまでもあんたに そのままでいられると かえってこちらが心苦しゅうなる 困るんじゃ」

「いいえ そんなこと ありません」

「いやぁ そうじゃよ あんなみたいな ええ人は ないいうて お母さんも誉めとったよ」

「お母様 わたくしを 買いかぶっていらしたんだわ」

「買かぶっとりゃせんよ」

「いいえ 私 そんな いい人間じゃありません お父様にまで そんな風に思って頂いていたら 私のほうこそ かえって 心苦しくって」

「いやあ そんなことぁない」

「いいえ わたくし ずるいんです お父様や お母様が 思ってらっしゃるほど そういつもいつも 昌二さんのこと 考えているわけじゃありません」

「ええんじゃよ 忘れてくれて」

「でもこの頃 思い出さない日さえ あるんです 忘れてる日が 多いんです わたくし いつまでも このままじゃ いられなくなるような気がするんです このままこうして 一人で居たら 一体どうなるんだろうなんて 夜中にふと考えたりすることがあるんです 一日一日が 何事もなく過ぎてゆくことが とっても 寂しいんです どこか 心の中で 何かを待ってるんです 狡いんです」

「ええんじゃよ それで やっぱり あんたは ええ人じゃよ 正直で」

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