Quantcast
Channel: 花の四日市スワマエ商店街
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2334

諏訪駅の謎

$
0
0

4月8日のエキサイト四日市・バザール本部席でのこと。K氏曰く西日野で積み込まれた荷物は諏訪駅を経由して国鉄四日市の東口から港へ出されたと。諏訪駅で内部八王子線と近鉄線が合流していたとは初耳だった。ほんとか?

明治初年、四郷村の第5世伊藤小左衛門は、家業の味噌・醤油づくりに努力する一方、輸出産業の花形である製糸業にも着目しました。そして、官営富岡製糸工場とかかわりが深い伊藤製糸部が室山に造られたのが明治4年のこと。こうして室山・西日野で製造された製品は海外へ輸出されました。

さて、日野八王子線は三重軌道で狭軌(線路の幅が1,067ミリ)一方、名古屋線は広軌(1,435ミリ)と走る列車が異なるので諏訪駅で積み直しが必要と思っていました。

しかし、四日市商工会議所発行の‟四日市もっと知りたい検定 公式テキスト“を読むとこうあります。

近鉄は昭和復興期の昭和22年から「名阪特急」運転を開始しましたが、大阪線の広軌と名古屋線の狭軌という、軌間幅の違いから途中の分岐点である伊勢中川駅での乗り換えが必要であり、1日も早い直通運転とスピードアップの実現が悲願となっていました。そのためには、急カーブで迂回する市街地付近の短絡化と広軌化・複線化が必要で、近鉄では昭和20年後半から本格的な改良工事に乗り出しました。

現在の近鉄四日市駅が完成し諏訪駅が廃止されたのは昭和31年9月のことです。

そして、名古屋線の広軌化は、昭和33年から準備が進められましたが、昭和34年9月に東海地方を襲った‟伊勢湾台風“による復旧工事で一気に広軌化が進められました。

とすると諏訪駅時代の近鉄線は、日野・八王子線と同じ狭軌であった、つまり日野~諏訪駅~国鉄四日市駅までは直通で繋がっていたという事になります。

左、室山・八王子線と、中央の湯の山線は合流している。が、右に隠れる名古屋線は・・・


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2334

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>