昨日は、休みだったので映画『電光石火の男』の資料を探しに図書館へ出かけた。図書館の係りの方の対応は大変親切だ。気持ちよくコピーをお願いできた。ふと見ると、鍵の付いた引き出しがある。開けてみると明治44年の四日市市街地図があった。おなじみである。これもコピーを頼もうと取り出すと、その下に大正11年8月の地図があった。大発見の気分だ!
そこには、三重軌道と四日市鉄道の二本が、国鉄四日市から西に延びていた。大正11年、伊勢線(のちの近鉄名古屋線)は海山道~四日市間が開通したばかりで、未だ市内は通っていなかったのか?
線路に沿って自転車で走ってみた。三滝通りを超えたあたりからゆっくり線路道は南へカーブしていた。塚本医院前。戦後、ここに踏切があり、線路の南の小屋に踏切番のおじさん‟ふみきりさん“が居たという。小便はとにかく大便なんかはどうしていたのか?臭い謎が深まる。
東へと走る。2002年刊行の『四日市写真帳』に載っている昭和初期の絵。右に建つのが立派な山門の善光寺である。その正面に三重軌道と四日市鉄道の合同駅が望める。
まさしく此処の位置からの風景だ。右端に善光寺の本堂が見える。
前へ進むと前回掲載のここに至る。合同駅。
ハローワークが正面に建ち、このすぐ奥を線路が通る。右に曲がるとJR四日市駅はすぐそばである。大正時代の国鉄駅は、今より南にあったのだ。