映画観賞会が終わり片付け入っていた時、Tさんから書類の束を頂戴した。昨日このぺーパーを見て驚いた。おそらくCTYさんが‟あすなろ鉄道”存続の時に特集で放送されたものか?Tさんありがとうございました。
この写真は大正11年ころの関西鉄道東口の賑わい。港側の当時の正面玄関口。さて西側はどうなっているのだろうか?
これが西側の様子。ホームページ「北勢軽便王国物語」で見ることができる。椙山先生らが当時の様子を語り合っている。この写真は大正5年3月とある。なんと四日市駅に三重軌道(内部・八王子線)と四日市鉄道(湯の山線)が集結しているのだ。室山の三重紡績でつくられた製品は直接四日市駅(現・JR四日市驛)へ運ばれていたのだ。一気に疑問が氷解した。Tさん、ありがとうございました。
そしてもう一つ、次回は『電光石火の男』の謎に迫ります。