これは享保時代の地図です。宿場の辻から東海道が左へ伸びていて、左上に諏訪神社の森が描かれている。
東海道分間延絵図を見ると、右下にいわゆる黒門が立っていて、四日市宿の出口(入口?)になっている。諏訪神社は宿場の外だった。そして、神社の西(裏)には何も描かれていない。何にもなかった。
「旧四日市をかたる会」で岡野繁松先生が描かれた、戦前の諏訪公園の様子を掲載させていただく。
本町のみずたにさんは、まちなか博物館を開いてみえて、貴重な絵葉書をお持ちである。
これもその1枚。右から左へ、熊澤図書館、誓の御柱(石山)、市民壇と並ぶ。すっかり整備されているから昭和になってからである。カラー写真であるのが珍しい。
文化展覧会記念として諏訪公園の中の建物が写されている1枚。私は熊沢館の裏に建つ旧図書館(児童館)ではないかと勝手に想像する。違っていたらご指摘いただきたい。
そしてみずたにさん所蔵の絵ハガキの中から、完成当時の誓の御柱(五か条のご誓文)と市民壇の完成記念写真が出てきた。