天気が良かった日に、石山(誓の御柱)に上ってみた。御幼少の頃はよく遊んだものだが、今上がってみると、檀上は意外に狭く、斜めになっているのでめまいがしそうだ。慶応4年(明治元年)新政府は5か条からなる国家の基本方針を国中に公布した。廣く會議を興し・・・は有名な文だ。
本町のみずたにさん提供
塔の台座には昭和9年3月吉日、村山清八謹建之とある。村山清八は伊勢市(旧宇治山田市)出身で、村山石炭株式会社の代表を務め、昭和7年10月11日~昭和11年10月10日までの4年間、四日市市議会議員の職を兼ねた実業家だ。(北野 保著 続よっかいち歴史浪漫紀行より)村山氏は、議員在籍の内に造っておきたかったのだろう。
ところが、台座の周りに奇妙な文句が刻んである。
あな 明け おけ??? ナンジャ?コリャ?
本町のみずたにさんに聞いても分からない。こうなったら北野 保氏御大に聞くしかないと連絡したところ、「続 よっかいち歴史浪漫紀行」に書きましたとの返事。シマッタ!持っていながら読んでなかった。平身低頭で電話を切ったが、文句の意味は依然不明である。こうなっては恥も外聞もありません。どなたか知りませんか?