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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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三丁目の夕日 潮干狩り

5月発刊の『三丁目の夕日・潮干狩り』に、はじめて泣かされました。親子で江崎ケ島海岸を訪れた想い出を胸に、あえて新婚旅行の場所にした〇〇君。ここは悲しみと感謝が詰まった場所でした。昨日「すわまえ食堂」に寄贈いたしましたので、興味ある方はうどん(500円・おにぎり付600円)を食するついでに、ぜひご購読ください。   このお土産も懐かしい。

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諏訪公園Deタイムスリップ

    是非ご参加ください といってもネタ集めはこれからデス。皆様何なりとお教えください。 訂正  青山里会様を、医療社会福祉法人と間違えました。正確には「社会福祉法人」です。ポスターは正確に記載させていただきます。 改めてお詫び申し上げます。

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6月の朔日恵比寿

北勢地域若者サポートステーションさんのお手伝いで、6月の朔日恵比寿を行うことができました。本浦農園さんの無農薬有機栽培野菜も販売できました。マンネリに陥らないよう、絶えず変化を求めて続けてまいります。ありがとうございます。

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日露戦争と諏訪公園

保光苑から諏訪公園へ 日露戦争(明治37~38年)戦没の記念として、明治39年の春、諏訪神社境内(神社所有の庭園)に設けられた公園で、はじめ保光苑と名付けた。そは平和克服の詔勅に「能く国家の光策を無彊(むきょう)に保ち」とあるに因みて名づけられた。...

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保光苑から諏訪公園へ

これは享保時代の地図です。宿場の辻から東海道が左へ伸びていて、左上に諏訪神社の森が描かれている。 東海道分間延絵図を見ると、右下にいわゆる黒門が立っていて、四日市宿の出口(入口?)になっている。諏訪神社は宿場の外だった。そして、神社の西(裏)には何も描かれていない。何にもなかった。 「旧四日市をかたる会」で岡野繁松先生が描かれた、戦前の諏訪公園の様子を掲載させていただく。...

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タモッちゃんに叱られる!

  天気が良かった日に、石山(誓の御柱)に上ってみた。御幼少の頃はよく遊んだものだが、今上がってみると、檀上は意外に狭く、斜めになっているのでめまいがしそうだ。慶応4年(明治元年)新政府は5か条からなる国家の基本方針を国中に公布した。廣く會議を興し・・・は有名な文だ。 本町のみずたにさん提供...

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誓の御柱と市民壇はセットだった

早速回答のコメントをいただきました。T様、ありがとうございました。改めてここに記載いたします。...

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誓の御柱と市民壇はセットだった その2

市民壇に貼ってある施工時のプレート板には、このように記してあった。 誓上御柱(上の字の左にカギ印がついている。いったい何と読むのか?) 市民壇 為 三恩報謝謹建之 昭和九年三月吉日 當市 村山清八 続いて施行者の名前が羅列してある 前回、市民壇はグループの出資よるものと思っていた。なぜなら巨額を要したことと、記念撮影の二枚の写真の人物が異なっているからだ。村山氏ともう一人はいったい誰だろうか?...

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諏訪神社界隈

昭和28年の名古屋タイムスからの再々掲載です。 “聖なる教会”真ン向かい 紅い燈ともる特飲街 そのまた隣が幼稚園 〇...

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旧図書館と熊澤館

昭和56年頃の熊澤館(図書館はすでに久保田町へ移っている)旧図書館は児童館として残り、その前(南)に熊沢館ができた。 現在、整備後のこども交流館 前回、絵葉書として掲載させていただいた(本町のみずたに氏提供)建物は、やはり旧図書館でした。 旧図書館内部...

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太平洋戦争と諏訪公園

誓の御柱と市民壇が造られた時代背景は、知っておく必要があると思いますので、ここに記させていただきます。 大正 7年11月11日 第一次世界大戦終わる 大正 9年 1月10日 国際連盟発足 大正10年12月13日 日英同盟条約終了 大正12年 9月 1日 関東大震災 昭和 2年 3月15日 金融恐慌始まる 昭和 2年 5月28日 第一次山東出兵 昭和 3年 6月 4日 奉天で張作霖爆死事件 昭和...

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辻さんの残した諏訪公園界隈

おなじみ辻 俊文さんの昭和31年から33年頃の諏訪公園を撮った写真です。下は現在の様子。市民壇は南部丘陵公園へ移築されています。映画劇場の始まりまでには、まだ少し時間があるようです。 藤棚からあげられていたアドバルーン。手前には出店が見えます。よくお世話になりました。 この先に見える松林が諏訪公園。スクーターが大活躍の時代でした。...

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どーもデス

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ラヂオ体操は続く

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昭和50年頃の諏訪公園 その1

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昭和50年頃の諏訪公園 その2

次は、図書館が久保田町へ移動したその後の諏訪公園の様子です。 公園南入り口を西から、三番街方向を撮った写真。左に猿の檻とその向こうに「だるまや」があります。 公園内南方向に見た写真です。中央に「だるまや」、右、藤棚。左が神社の背中になります。 北へさがったところに鳥舎がありました。日曜日になると、大勢の人々がここの椅子に腰を掛けていました。...

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昭和50年頃の諏訪公園 その3

熊澤一衛氏寄贈による図書館。図書館は久保田へ移転、子供の家開館まで3年ほどの間はこの状態が続きました。 西側からの絵。当時ここに建っていた石山(誓いの御柱)の上から撮っています。 図書館跡の裏側(北側)。ここに木造の学習室と、四日市幼稚園がありました。やがてパズルパーキングが造られることになります。...

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7月の朔日恵比寿

サポステ皆さんのご協力で、吹き流しを飾りました。おらが商店街が一番びりでした。このまま仕舞わずに飾っておけば、おらが商店街が一番になります。 本日は朔日恵比寿。お客さんの出は、暑さの為か今一つです。 本浦農園さん無農薬有機野菜は、なす、きゅうり、ピーマン、ししとうと夏野菜が並びました。 風がありましたが、暑さの為か今日は疲れました。 サポステの皆さん、今日は本当にありがとうございました。感謝です!

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諏訪公園をめぐる二人の功労者

熊沢一衛氏と村山清八氏の写真を、本町の水谷さんが届けていただいたので、掲載いたします。 昭和3年竣工、4年に完成した熊澤図書館。 熊沢一衛氏は、東海の飛将軍と言われていました。 昭和9年、誓の御柱と市民壇を造った村山清八氏 前に立つのが村山氏でした。

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合同駅から四日市西駅へ

大正5年、諏訪駅を東に進むと三重軌道と四日市鉄道の合同駅が見えてくる。線路の右には善光寺の大きな山門が建つ。左下に昭和初期とあるが、合同駅は大正時代にあったのではないか? Web「幻の軽便王国物語」より、感動の写真です(大正5年11月)。室山の方が持ってみえたということ。室山でつくられた製糸等が、三重軌道でここへ運ばれてきたのでしょう。 合同駅が取り壊され、四日市西駅が大正11年に完成。...

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