昭和33年7月24日、諏訪公園の市民壇前。今日は1学期の終業式。通信簿の難関を乗り越え明日からは夏休みだ。市民壇で夜の7時半から映画が始まる。何の映画か?嵐勘十郎のチャンバラか、西部劇か。市民壇に張られた幕の前に僕らは陣取る。やがて集まってくる大人たちに負けないよう特等席を取る。大人たちの影で観られなかったら、裏に回ってでも観るのだ。
市民壇は村山清八という市議会議員が誓の御柱と共に昭和9年に造った。戦争の影が見える。
完成当時の市民壇
市民壇・誓の御柱・熊澤図書館と並ぶ(本町水谷氏所蔵)
でも、僕たちには関係ない。市民壇と石山(誓の御柱)は格好の遊び場で、裏側の階段から上がって、壇の中央に立つと世の中が広くなり、自分中心に地球が回っているような気分になった。少し照れくさかったけれど、気分は最高だった。現在、南部丘陵公園に移築されている市民壇は、少し寂しそうだ。