諏訪駅の踏切跡
昭和32年2月。寒い日の朝。洗顔に余念がない親子。ここで生活して居たとなると、線路を背にした狭い店の二階で寝起きしていたことになる。現在のホームラン前から一番街の通りを東向きに撮った写真。昨夜まで降り続いたみぞれ混じりの雨はあがったが、空はまだ重い。
この通りを国鉄四日市駅(現 JR四日市駅)へ伸びる線路が通っていた。大正の頃は、三重軌道(内部・八王子方面)と四日市鉄道(湯の山線)の二本の列車が走っていた。手前の石畳は踏み切り跡。通勤の人が通る。すずらん通りから嶋口屋の路地をくぐり諏訪新道方面の職場へ向かう。
三泗百貨店が一掃謝恩セールを行なっている。二割引きから三割引き。毎週安くなっていきますよ!三泗百貨店は諏訪駅前の諏訪百貨店のように多くの店の集合体だった。一階は食品売り場で、木造床の二階へゴトゴト上がると切手売り場やゲームセンターがあった。この後スーパーサンシとなる。革新的販売方!スーパーマーケットの誕生である。左にふくや靴店(後のフクヤ)の看板が見える。サンシの反対側の路地。ここも線路を背に小さな店舗が、ヤマモト・ヤマカワ・サワムラそして多田駄菓子屋があった。ほとんどの人が店の隅で食事をとる。みんな食べていくのに必死だった。