昭和33年6月、諏訪公園西の通りを北向きに見た。この先、北西方向に当時の赤線地帯と呼ばれていた春告園が広がる。
この年4月1日に売春防止法が施行され、全国で3万9000軒の店と従業婦12万人が姿を消した。
開店準備が出来て、来客を待つバーの従業員。寿屋チェーン店の看板が見える。この年、石原裕次郎の日活映画「嵐を呼ぶ男」「陽のあたる坂道」「風速四十米」が大ヒット。裕次郎のイカす姿に若者はあこがれた。自転車の向こうに麗人急募の張り紙が覗いている。麗人とは古い表現だ。
約1年遡る昭和32年5月13日、辻さんは今の四日市飯店角でカメラを構えた。だとすると右方向にあるのが諏訪公園か。港楽園入口とある。ここから西が赤線だった。左側に竜宮城のような建物があった気がする。赤線廃止後は、公園西の屋台がここへ移ったと聞いた。
位置が少し違っているかもしれません。