岡野先生が「旧四日市を語る」に書いた、戦前のスワマヱ通りである。1番街の通りに諏訪驛があって、内部・八王子線の発着場でもあった。
東海道の南の外れに位置したスワマエには、魚屋、薬屋、表具屋、小料理屋、仏壇屋、八百屋、染物屋、お茶屋、郵便局、洋品店、自転車屋、米屋、時計屋、うどんや、毛糸屋、化粧品屋等あらゆる商店が揃っていた事が分かる。むしろ飲食店は少なく、諏訪神社の前に巴軒という名のカフェが見当たるが、どんな店だったの気になるところだ。
比較的まじめな通りだったことが推測される。
岡野先生が「旧四日市を語る」に書いた、戦前のスワマヱ通りである。1番街の通りに諏訪驛があって、内部・八王子線の発着場でもあった。
東海道の南の外れに位置したスワマエには、魚屋、薬屋、表具屋、小料理屋、仏壇屋、八百屋、染物屋、お茶屋、郵便局、洋品店、自転車屋、米屋、時計屋、うどんや、毛糸屋、化粧品屋等あらゆる商店が揃っていた事が分かる。むしろ飲食店は少なく、諏訪神社の前に巴軒という名のカフェが見当たるが、どんな店だったの気になるところだ。
比較的まじめな通りだったことが推測される。