昭和35年12月20日、スワマーケットの本格的な取り壊しが始まる。辻さんは自宅の2階から北東方向に解体工事をカメラに収める。上から見ると分かるが、スワマーケットは小さな店舗の集合体だ。焼け跡の諏訪駅前に小さな店が並び始め、雨除けの屋根でつながれてマーケットが出来上がっていった。
山本氏は、地権者の調整にかなりご尽力されたと想像できる。諏訪駅撤去の昭和31年以来、取り壊し迄4年の歳月がかかった。そして、昭和37年9月5日、新しいスワ百貨店はオープンする。
開店の朝 白揚書房前
昭和37年9月2日、二年間の工事期間を経て四日市スワ百貨店がオープンした。四日市の新しい顔が誕生した。渡辺のジュースの素の看板をつけた八百屋の車が止まっている。荷台には桃の箱が積まれている。搬入の車だろうか。紅白幕に並べられた花輪。向かいの大阪屋前を多くの人が通る。諏訪南大通りのアーケードは台風で崩れ、撤去されている。
スワ百貨店の中には前の地権者が多く店を構えた。当時、近鉄ストアとここにしか無かったエスカレーターが珍しく、何度も乗りに行った記憶がある。街は希望であふれていた。
白揚書房前から北を望む