驚くべきことに、保公園(明治期の諏訪公園)に、タイムマシン出現の記録のある事が分かった。機長は緑骨斗と(グリーンホーネット)名のり、部下のカトーと賄いのお祖父さんを伴っていた。今回のマシーンは、依然と違って形状が異なり球体をしていた。旧態依然としてオッタのでアル。
明治44年の地図を見ると、諏訪神社の西(本殿の裏手)に保公園があり、そこから西は一面の田畑が広がっていた。沖の島へ通じる路地が東海道へ出たところに当店があり、神社の敷地が広かった事が分かる。三重軌道(室山・八王子線)と四日市鉄道は、敷設の計画段階で、左に鵜の森神社がポツンとある。東海道と浜往還を中心に発達していたころの四日市であります。
中央に保公園と斜めに走る路地。その先が沖の島。沖の島には高等女学校と市役所があった。