浜田小学校の校舎から商工会議所の火事が見えた。隣が税務署だったのでもっと焼けろ!と意味も分からず不謹慎なことをわめいていた。このころになると街の中も整備が進む。火災から立ち直った四日市商工会議所、家庭裁判所、市立病院や近鉄百貨店、国鉄四日市駅など次々と竣工式を迎えている。伊勢湾台風の襲来が昭和34年の夜の事だった。当店も塀が倒れて怖い思いをした。しかし、復興は意外と早く、これを機に狭軌道だった近鉄線が広軌に切り替えられた。
写真は昭和30年ころの諏訪駅へ向かう近鉄線。1号線から北方向に撮られている。この後、近鉄四日市駅が完成。この線路も廃線となり狭軌道のまま短絡化がすすめられた。
図書館を借りていた市立病院は、昭和24年 諏訪公園西に移転、その後、昭和36年に堀木へ新しく建てられた。現在はマンションが建っている。