市井からの眺め 27
大協石油火災の時は、四日市幼稚園の前で 空へ上る真っ黒な煙を呆然と眺めていました。四日市高校が甲子園で優勝 とか 中部中学校の近代的校舎が完成とか 記憶に残る身近な事柄になってきました。 赤線廃止が33年でした。それから2年後、赤線だった後楽園跡を縦断して塾へと通っていました。当時は近鉄百貨店の建設工事が始まるころで、映画「ベンハー」が四日市シネマで封切られた時でした。
View Article市井からの眺め 博覧会大好き日本人①
博覧会大好き日本人。欧州では第1次世界大戦が起き、日本はドイツに宣戦布告を行った。つかの間の好景気が訪れた大正3年、東京大正博覧会が3月20日~7月31日まで、当時の東京市の上野公園地をおもな会場として開催された。入場者数は、およそ750万人。 会場内では芸妓の存在が目立つもののひとつとなっており、「博覧会新曲の題目や出演者、稽古の様子の写真、博覧会...
View Article市井からの眺め 博覧会大好き日本人②
四日市港の第2埋立地ができた昭和11年、企業誘致のために国産振興四日市大博覧会が開催され、そして戦後の復興に見通しが立った昭和27年には講和記念四日市大博覧会が開かれた。 博覧会大好き日本人!ある時は、国の繁栄を祝い あるときは振興を願って博覧会が開催されている。帝都東京では大正3年の東京大正博覧会、大正11年の平和記念東京博覧会が、上野と不忍池周辺で開かれた。...
View Article市井からの眺め 富くじ
大正11年の“平和記念東京博覧会”。来場者が1100万人と『大賑わい』の評判だった一方、東京日日新聞には『例の福引を無茶苦茶にやり、欲で入場者を釣ろうとする算段、どうせ警視庁御免の富くじ式』とあり、集客目当ての苦肉の策。現金抽選会で数万円を手にする人もいたようだ。 天下の博覧会に泥を塗る卑劣な手と思っていたら、昭和27年開催の“講和記念四日市大博覧会”でも抽選会はやっていた。...
View Article市井からの眺め 国産振興成功の秘訣は?
二・二六事件が起こり、軍の政治介入が一層強まってきた昭和11年の3月25日から5月13日までの50日間、“国産振興四日市大博覧会”が開かれた。『新視点 三重県の歴史 毎日新聞社刊』 より...
View Article市井からの眺め 躍進四日市!
朝ドラ「エール」のモデルとなっている作曲家の古関裕而氏は、四日市にご縁がある。北野保著「よっかいち歴史浪漫紀行」より 福島県古関裕而記念館...
View Article市井からの眺め 四日市小唄
もう1曲、昭和11年の国産振興四日市大博覧会会場で流れていた歌がある。それは、佐藤千夜子の「四日市小唄」であります。作詞・西條八十 作曲・中山晋平というと充分聞き覚えのある著名人だ。佐藤千夜子は「東京行進曲」「影を慕いて」と昭和の流行歌史に不滅の金字塔を建てた永遠の歌姫と讃えられている。 北野保著「よっかいち浪漫紀行」より 四日市小唄 西條八十 作詞・中山晋平 作曲 歌唱...
View Article市井からの眺め35 講和記念博覧会①
戦禍から立ち直り希望が見え始めた昭和27年3月、中央通りを会場に“講和記念四日市大博覧会”が開かれた。さて、その主旨は・・・。 入口ゲート 市役所屋上より...
View Article市井からの眺め 37講和記念博覧会③
平和の女神像の東に産業ホールが見える 正面入り口を入って左側にある大きな建物が“産業ホール”である。ここは近代日本の産業、鉄・石炭・電力の三大基幹産業の製品が陳列されていた。金属工業の刺激となるスマートな自転車、電気洗濯機、電気冷蔵庫、扇風機、ミシン、ラジオ、アイロン等が並び、一般化されんとしつつある蛍光燈は各所に藍色の柔らかい光を放ち、家庭婦人の注目の的となっていた。...
View Article市井からの眺め38 講和記念博覧会④
昭和26年9月8日、サンフランシスコにおいてアメリカをはじめとする連合国と日本の間で講和条約が締結、戦争状態が終わりを告げた。こうして立ち直りの希望が見えてきた昭和27年に開催されたのが“講和記念大博覧会”だった。 野外ステージ裏は橋本病院?...
View Article市井からの眺め39講和記念博覧会”⑤
昭和11年開催の“国産振興大博覧会”で、外人によるアトラクションが好評だったように“昭和27年の“講和記念大博覧会”も、野外ステージに力を入れていた。 正門前に立ったとき、中空にそびえた中央塔の半ばに渦巻く赤色ネオンを設けた絢爛な風車を付けた高層建築と完全放送設備を兼ねた建物こそは本博覧会圧巻の大豪華版、アトラクションの殿堂、野外劇場のそれである。...
View Article市井からの眺め41講和記念博覧会⑦
アメリカンホールは観光館の西隣にあったというが、地図には無い。観光館と小型車両館の間にあったようだ。ちょうど税務署の前あたりか?急遽建てたのだろうか?しかも、送られてきたアメリカの社会教育状況の写真340枚が陳列できず、諏訪公園の市立図書館内に掲示されたそうだ(アメリカンホール第二会場)。...
View Article市井からの眺め32 弾丸列車①
<ゴールデンウイーク特集・幻の弾丸列車①> 昭和9年から18年まで、南満州鉄道のパシナ形蒸気機関車『あじあ号』は、大連港から首都新京までの710kmを8時間30分で走った。流線型をした車体の威容をご覧いただきたい。...
View Article市井からの眺め33弾丸列車②
島 安二郎氏の話に移る前に、もう少し『あじあ号』のことを書かせていただこう。『絵はがきの大日本帝国』 二松啓紀著 平凡社新書より 大連を出発するあじあ号 流線型の「パシナ型」と呼ばれる蒸気機関車が豪華客車を牽引し、大草原を猛スピードで走る。満鉄の看板列車「あじあ」の勇姿は「飛躍する満鉄」を日本人に印象づけた。運航開始は昭和9年11月1日だった。 あじあ号の後尾 展望車...
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