関西鉄道四日市整備工場の遠景。四日市駅東側(左)の貨物ホームに沿って石畳をゆくと 運河の向こうには明治23年に創業の関鉄鉄道四日市整備工場が赤レンガの欧風姿で煙を吐いているのが見えた。
鍛造、木工、工作部門等で、当時この地方では最も近代的な機械工場として異彩を放っていたものである。この写真の左端あたりに運河を渡る関西橋という名の鉄橋がかかっていたのも関西鉄道にあやかったものと思われる。この工場は大正末期に多数の従業員と共にそっくり名古屋に移り鉄道省の名古屋工場となった。現在この跡は国鉄四日市駅コンテナー基地及び貨物のヤードになっている。
現在も残る関西堀の跡。遠くに見えるのは住友電装、関西鉄道の四日市工場があったところだ。
写真⑤(昭和51年撮影) 左側煉瓦積のホームが旧下りホーム。このホーム左側に戦災で焼失した前回掲載の東口に建つ旧駅舎があった。写真の0ポスト標は、大正9年開通の四日市港への臨港線の起点を示し、これが駅中心となっている。
写真5⃣
この先左側に遷車場があったと思われる。JR敷地で入れなかった。
右側ホームが旧下りホーム(昭和51年撮影)。現在(昭和54年)は下りホームとなっており、DC特急「くろしお」天王寺行のキハ81が停車中であるが、これも過去のものとなった。左右ホームの間は2線となっているが、明治期には3線が敷設されていたのが次の図で明らかである。
写真の陸橋はその脚柱に『明治44年鉄道神戸』の銘板があり、この年に架設されたのであろう。それ以前は少し向こうに架設されていたのが平面図で認められる。
写真⑥・⑦は、平面図にある貨物ホームの遷車台である(左右に動かす)。現在(昭和54年)は電動式に改造されているが使用されていないようである。設置当初は人力で動かしていたのではなかろうか。
写真⑥
写真⑦ 昭和51年撮影