全国でも珍しい軽便鉄道の合同駅。1階の右半分が四日市鉄道(四日市〜湯の山温泉)、左半分が三重鉄道(四日市〜室山・八王子と内部行)の乗車場で2階は四日市鉄道と三重鉄道の本社に分かれていた。どちらもこの駅から次の諏訪駅まで並行しており、恰も複線の軽便鉄道のようであった。
場所はどこか?「湯の山温泉行のりば」の看板が立つ
右(西)がわに合同駅入り口が見える この建物の裏側、西に回ってみよう。
Web「北勢軽便王国物語」より 右「三重軌道」、左「四日市鉄道」三重軌道は阿瀬知川のほうへも延びている。木材を積み込んだ。(大正5年11月)
善光寺の向こうに合同駅が見える(本町 まちかど博物館提供)。
大正11年のマップより
四日市鉄道の方は、大正2年から大正10年11月まで、アーサーコッペル牽く2軸ボギープレーン屋根の開放デッキ客車の蒸気運転、それ以後昭和2年四日市〜諏訪間廃止までは、その客車(1号形)をオープンデッキのまま屋根中央に1本ポールを付けた改造電車と、珍しくも東京電車鉄道のヨトⅠ型という4輪単車を改軌したもので電車運転していた。私の兄(明治43年生)はこのヨトⅠ型に四日市〜諏訪間乗って単車独特の前後上下にフワフワお辞儀しながら走る軟らかな乗り心地を味わった経験を持っている。
大正期の四日市鉄道
ヨトⅠ号改造型
三重鉄道側は、大正4年12月、やはりこの駅からアーサーコッペル牽くモニタールーフのボギーオープンデッキ客車で蒸気運転を始め、昭和2年5月片ボギー式ガソリンカー(軌道車)が出現するや、蒸気と軌道車の混合運転を始めた。
昭和7年 西日野にて
従って、大正10年11月以降は四日市鉄道の電車(ヨトⅠ号)と、三重鉄道のコッペルや軌道車(片ボギー式ガソリンカー)が、四日市〜諏訪間で併走していたことになる。
大正15年(本町 まちかど博物館提供)一時、四日市鉄道は「すは」、三重軌道は「すはまへ」の別の駅だった。