大正11年に伊勢鉄道(現 近畿日本鉄道)が関西線の西側に開通乗り入れをしたために、省線と伊勢鉄道の合同乗り入れ駅ができた。西駅である。玄関は北(名古屋方向)(東駅と同じ)を向いて建つ。中央の改札口を入って右へ行けば伊勢電(桑名〜大神宮前間)の乗場に、左に行けばブリッジを渡って省線のホームへ。左端のタクシーの向こう側に集札口があって、汽車・電車いずれから降りた客もここから外に出てくる(岡野先生はここで列車から降りてくる人を待っていた)。大八車の右は小荷物扱い所。街灯の下のボックスは公衆電話。手前のバスのサイドボードに、日永・内部・久間田・伊船・椿ゆきと書いてあって、窓のハンドレールに引っ掛けてあるだけ。三重鉄道の軌道車を笑えないような四畳半的ムードであった(四畳半の意味不明です、先生!)。
昭和6年の諏訪駅。伊勢電に乗って四日市の次の駅。東海道の踏切を越えたところにあった。
島式ホーム(線路の真ん中にホームがあった)には伊勢電の201型らしい桑名行が発車していく。そのすぐ左に四日市鉄道の湯の山からの列車が到着?更にホームの隣には内部行きの軌道車が客を待っている。(伊勢線の上り下りのホームの南に、湯の山線と内部・八王子線のホームが並んであった。(そりゃ狭いゎ)
カメラは今、東海道筋の踏切に立って西方向にシャッターをきったところ。この駅は昭和17年まで存在したが、昇降客の激増で島式ホーム(真ん中がホームで両脇に電車が着く)を西へ延長しても追いつかず、関急時代にこれより西数十メートル先にあった貨物駅と三重鉄道の構内線路を取り払って相対式のホーム(線路を真ん中に北と南側にホーム)を持つ駅に改造された。(四日市鉄道は三重鉄道へ昭和6年3月18日合併した)
サンシ前から東北方向に撮られた写真,というよりもサンシ店内の位置になるのでは?
東海道筋