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市井からの眺め69弾丸列車⑲

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昭和17年、大東亜共栄圏建設の号令で、新幹線構想は単に日満支三国にとどまることなくインド以東、南太平洋も悉く含めた、広域経済圏を意味することとなった。タイとビルマの国境付近に鉄道を敷く映画「戦場にかける橋」は、ちょうどこの頃、昭和18年のお話である。

 しかし昭和19年頃になると、15カ年にわたる長大な国家計画でもあった新幹線構想も、もはやそれどころではなかった。南方戦線では相次ぐ玉砕で後退に次ぐ後退に強いられ、次第に追い詰められて、日本という国家そのものが存亡に危機にさらされていた。

島英雄も述べている「姫路以遠となると、東京から順繰りに綿密な計画を作っていたために、そこまではいかないうちに工事は中止になった」https://blog.goo.ne.jp/hotokeya/d/20200527 5月27日のブログより

 

権田良彦事務官は、当時を振り返ってこう述べている「戦後の新幹線がなぜあんなにスムーズにいったか。それは戦争も押し迫っていた時に、用地をずいぶん買収していたからです。それも重要な箇所を重点的に買っていましたから。それと、土地の買収は現地の建設工事事務所が部下を使って、鉄道の拡張工事ということで進めていったから、地主は新幹線のためとは知らないはずです」

用地買収は、戦時下の「国民総動員体制」が叫ばれるなか、「お国のため」の号令で強制的に進められたのだった。


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