塩浜の第二海軍燃料廠と泊山は、海軍道路によってつながっていた。
昭和20年4月5日午前9時43分に空撮された第二海軍燃料廠。陸軍参謀本部陸地測量所が、何らかの目的で撮ったもの。この後、空襲で壊滅的な被害を受ける。(教育委員会所蔵)
昭和20年6月22日・26日と7月9日は、B29による空襲で、破壊された海軍燃料廠。中央やや右側に人が立っているが、建物の巨大さが分かる。
昭和20年11月30日、第二海軍燃料廠は消滅。昭和30年8月に昭和石油に払い下げられた。そして、四日市コンビナート形成の基となる。塩浜駅側から石原産業方向に撮られたものか?中央左右に塩浜街道が通る。(昭和20年代)
昭和31年頃、燃料廠跡の撤去作業の様子。
写真集「四日市の100年」・「四日市の今昔」より