中日新聞津支局の板津亮平氏が「商店街から取り残されたような、昭和のにおいがする路地を撮りたい」と訪ねて来たのは半年ほど前のことだろうか。その後、何度かみえた。当店の西側に位置する連鎖街は、ロジドリの期待に充分応える路地である。故スルメ氏が話していたのは、ここに兵舎だった建物を2棟持ってきて建てたということだったが、兵舎かどうかの確認を得ることは出来なかった。
おばさんの立っているところに階段があった。香蘭・階段・煙波と並ぶ(昭和33年3月8日 辻 俊文氏撮影)
1階は、小さい飲食が並ぶ。北側寄りにやや広い階段があり2階へ上がると、木の廊下の東側には小さな部屋が並んでいた。
木戸君の描いた当時の連鎖街。遊郭の行燈のような明かりが立っていたという。左に階段が見える。辻さんの写真には行燈らしきものは映ってないので、昭和40年代に立てられたのだろうか?
諏訪公園にあった四日市幼稚園で同じクラスだった女の子のところへ遊びに行った。部屋は狭く隅に布団が積んであってその上で遊んだ。美人タイプの子だった記憶がある。
後年、商売の関係でご主人に会うことができた。その子だったかどうか確証を取ろうと話していたら、ご主人はフッと「お水だった」といった。水商売をしていたという意味である。その時本人に会うことは出来なかったが、結構リッチな生活をしている様子だった。
右が北・緑の部分に2棟 兵舎らしき建物があった。マダムよう子のあたりに階段があったが、「煙波」の記入が抜けている。(昭和32年頃)
この2棟を通称、連鎖街と呼んでいたのだろう。連鎖した木造建築。漏電になるとまる焼けだった。実際、火事で焼失している。