昭和31年9月、近鉄線の短絡工事が完成して、海山道駅から現在の近鉄四日市駅まで直線で結ばれた。それまでは、関西線と並行して国鉄四日市駅に一旦入り、善光寺カーブを経て諏訪駅に向かった。
昭和27年10月30日、海山道〜鹿化川分岐間の短絡工事が終わり。昭和31年9月23日鹿化川分岐〜四日市新駅舎〜川原町駅間も竣工した。これで従来の諏訪駅が廃止されて1.1キロメートル、時間にして約4分短縮されたわけである。
以前は、大阪線の広軌(1435ミリメートル)と名古屋線の狭軌(1067ミリメートル)との線路幅の違いから、伊勢中川駅での乗り換えが必要であり、昭和20年から広軌への変換工事が始まった。
名古屋線の広軌化は昭和33年9月から準備がすすめられたが、昭和34年9月26日、四日市まつりの最終日に伊勢湾台風が東海地方を直撃、この復旧工事で計画より早く完成となった。まさに“災い転じて福となす”デアリマス。
寿町に残る旧線の鹿化川橋梁の橋台
『よっかいち浪漫紀行 北野保著』より