オカダヤ(現イオン)は、街の中心部を目指して移動していた。明治・大正期の岡田屋呉服店は、東海道の辻に呉服店を構えていた。
明治〜大正期の辻付近での道路工事の様子。岡田屋の看板が見える。
戦後、諏訪新道の拡幅工事が行われ、街一番の繁華街になるとここへ移動。
昭和29年の諏訪新道
昭和43年の諏訪新道(オカダヤは商品部となっている)
昭和40年頃か? 森さん提供:この右側にオカダヤがあった。
昭和33年4月、新しく出来た近鉄四日市駅前の一等地924㎡に2階建て オカダヤが誕生する。昭和34年11月百貨店申請をして2200㎡のオカダヤ百貨店に開店となる。この2階の西南角に小さなニュース劇場があった。ここでグレゴリーペックの“ナヴァロンの要塞”を観た記憶がある。この映画の封切りが昭和36年だから、ニュース劇場は、昭和33年〜38年の間に存在していたと思う。
昭和38年3月増床。売場面積5000㎡の総合百貨店となる。昭和44年2月ジャスコ設立され、オカダヤからジャスコに改名する。